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これをわりとスピリチュアル系と自認している人たちはこぞって諸手を挙げて、もしくは号泣しながら絶賛してらっしゃるので、どんなもんかと少し見るなり、ものすごくゲンナリ…。
「なんやねん、これ?」
…あ〜あ、ぶっちゃけ書いちゃった(笑)。
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「クリスタルチルドレン」という言葉がこういう形で歌になり、全国に放映されるというのは、確かに「時代が変わったんだねえ」という若干の感慨みたいなも のは感じますが、ただそれだけじゃないの?と思うし、「今の時代絶対ウケるね」と流行の最先端を気取ったプロデューサーが足を組んでふんぞり返っている図 を正直想像してしまいました(笑)。
だって、当たり障りの無い純真っぽい言葉(でも大人が書いている)、言い換えれば綺麗事をあどけない子供に歌わせて感動させようなどという、大人の魂胆が見え見えだもの。
本当に感動したという方もいるかもしれませんが、何かこういう「善意」のものは、「絶賛したほうが精神性の高い人たちに一目置いてもらえる」みたいな打算で「すごく感動した」と言っている自称「スピリチュアル系」の人も多いんじゃないかって思います。
なんせ、「こういう時代」ですからみんなのウケがいいものね(皮肉)。
まあ、小学校中学年以下の子供には情操教育的にそれなりの歌詞なのかもしれないが、歌詞はなんか自分たちで変えていこうということよりも、妄想の勧めみたいに聞こえる(暴言)。
しかも、芸術性皆無。イルカに乗ってるなんてベタ過ぎ(苦笑)。
モチーフが「感動的ですばらしい」と思い込んでしまうと、ものすごく低質でもそれに気づかなかったり許容してしまったりするのかなあ?
だから、芸術が廃れていくんだよなあ。
同じ「みんなのうた」でも、「おしりかじり虫」の方がまったくナンセンスだけど、ただ楽しくなるという意味においても、芸術性という意味においてもよほど優れていると思います。
ところで、日常たいしたことないものでも反射的で安易に「いい」って形容をしている人って、本当にいいものに出会ったときに、なんて表現するんだろう?
「すごくいい」? 「めちゃくちゃいい」? 「オニ、サイコー」?
それってただのボキャ貧だよねえ。言葉が死んでいってる。
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私のことを個人的によく知っている人にはお分かりだと思いますが、私はいわゆる「スピリチュアル系」「精神世界系」「ニューエイジ系」といったものについて、知識はあるけど、はっきり言ってキ・ラ・イです。
特に、地に足のついていないところが嫌いです。
自分の過去世を現世の言い訳にするところや、「善意」であれば吟味もせずにいいことだと思い込んでしまう単細胞的思考パターンに無意識に相互洗脳してしま うところ、また、理性をかなぐり捨てて他人の言うなりになることを自分で選択しておきながらうまくいかなければ他人のせいにするところや、改善しようとす ればするほど「ネガティブなもの」という幻想にますます焦点が固着させられてしまうところなど、全く共感できません。
海外に比べると(まあ、海外でもどうしようもないのはたくさんあるけど)、日本のスピリチュアル系全体の幼児性には、非常に驚かされると同時に、ものすごく愕然とさせられます。
だからだと思いますが、直接話したり聴いたりするたびにエリック・パール博士の感覚って自分とものすごく似てるなあと思わされるんです。
(物事を茶化してみるのが大好きだし、多観点から掘り下げて検証してみるのも好きだし、ダイエットドクターペッパーも好きだし:笑)
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現代日本社会は、かなり弱肉強食的になってしまっているけど、それについていけない人に対しては、「癒し」と称したエサというか、母性愛偏向的な現実逃避 や習慣性・依存性を促して浪費させるというか、結局 経済的搾取というか、やっぱり弱肉強食なんじゃねえかってなことを感じさせられます。
もちろん、同情すべき状況の人たちも多いと感じるのですが、なんとも とんちんかんで安易過ぎる「対症療法的解決策」しか目につかないような社会構造になってしまっていて、常々なんとかできないかとは思っているのですが…。
これからは現実逃避的で偽善的な「癒し」というよりは、現実に地に足のついた癒しというかむしろ活性化の方が必要だよってやっぱり個人的には思います。
みんな自分に喝を入れませうぜ!
P.S. ところで妻のみちるのブログ「ののの の きぶん」に私の分身キャラ(笑)のうた&おどりの動画がリンクされていますので、ぜひごらんください。体形やアホっぽさがとてもよく似てるとのことです(笑)。
♪Macho, macho man…♪
昨日27日友人と一緒にNHKホールに行って、Pat Metheny Brad Mehldau Quartet (パットメセニー・ブラッドメルドー・カルテット)のコンサートを聴いてきた。
いやあ、やっぱ、うまい。
当たり前だけど(笑)。
パットは「我が心の師匠」の一人なのだが、年を重ねるごとに熟してきていて、ホント「神」レベルに達しつつあるって感じ。
特にあの「ピカソギター」で、ディレイ&プレート系リバーブをかまして演奏されると、「あっちの世界」に行ってしまうんではなかろうかと思うほどの桃源郷的サウンドスケープが眼前に拡がらしめられる。←変な表現(笑)
コンサート後、友人とも話してたのだが、パットがギターを奏でた瞬間、頭の中ではアメリカ内陸部の乾いた草原、特に乾いた枯草が風に丸められて目の前の木 の柵にコロコロと転がってきて、幾つもひっかかっているような(笑)典型的なアメリカの風景が思い起こされるのが、ホントに不思議だし、何よりスゴいこと だと思う。
パットは80年代後半〜90年代初頭にかけて、ブラジル音楽に傾倒していて、それが当時のアルバムに色濃く現れているが、一般にブラジル音楽は「海の音楽」であるから、アメリカの内陸的な音を出す彼が、違う音を求めてブラジル音楽にハマったのかもしれない。
だから今回もブラジルのMilton Nascimento(ミルトン・ナシメント)の曲「Vera Cruz」をアンコール前の最後の曲として演奏していたのが興味深かった。
一方、今回の相方ブラッドは、ちゃんと聴いたのは初めてだが、私よりもなんと1歳若い37歳とは思えないほどの、ちゃんと立場をわきまえた老練 さ、抑制の利いた演奏を聴かせてくれて、天才ぶりを遺憾なく発揮していた。Pat Metheny Groupでの相方Lyle Mays(ライル・メイズ)に通じる部分も感じられたが、Keith Jarret(キース・ジャレット)の若干パーカッシブなリリカルさも持ち合わせているとも感じた。それでいて、弾き過ぎないで周りの音を聴いている姿勢 に非常に好感が持てた。
やっぱり、たまには本物を聴かないと、耳が腐っちまうなあ(笑)。
すごくインスパイアされました、ありがとう。
21世紀の今、全芸術に於いて、盗作使用とリスペクト使用(若しくはパロディなど)、さらに無自覚使用の差異を、果たしてその意図の違い以外に区別・評価を正当に下すことなど可能なのだろうか?
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街を歩けば、どんなに見聴きしたくなくとも強制的にサブリミナルに見聴きさせられてしまうくらい、いろんなものがゴミ箱や掃き溜めのように雑然と溢れかえっている今の世の中では、「オリジナリティ」なるものの確立は、例えば40年前と比較するとはるかに困難なものに思える。
最近よく聞く盗作訴訟のパターンは、被告人がはるか過去にどこかで何気なく見聞きしたものか当時は相当の程度で嗜好していながら今はさほど興味もなかったものが、最近になって何かきっかけになる事柄によって思い浮かび、それがもはや自分の創作なのか記憶なのかもはっきり自覚がないか、自分の創作であると疑わないまま、世間に大々的に発表するも、然る後、それが特定のマニア的人物によってインターネット上で「ある作品の盗作」だと確信的・感情的もしくは愉快犯的に「暴露」され、何かの経緯でその「原作者」が「盗作された」と真に受けることに至り、類似点を多数あげつらって告訴することになったというものがほとんどである。
その際問題になるのは、被告人が盗作を認めるか否か、盗作元の原作をどの程度知っていたか、知らないにしても相応に人口に膾炙しているものであるかどうか、ということである。
しかし、一般的に広く知られているものでも、ある人には全く興味の対象でないから全く知らないっていうケースも意外に多くある。みなさんもこういうフレーズたまに聴くでしょう?「うそ!?なんでこんなことくらいも知らないの?」
(私の場合、実際にそういう「興味のあること以外は、信じられないほど一般常識的なことすら知らない人」が身近にいた経験が過去にあったので…。)
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高校の時、こんな話を聞いた事がある。
ずば抜けて成績優秀な或る中学生がいた。彼は特に数学に秀でていたが、家庭の事情で工場の跡取りとして就職を選び、高校に進学しなかった。しかし、担任の数学教師とは卒業後もしばしば顔を合わせていたという。
30年以上経った或る日の深夜、その教師宅にその教え子から「すぐに会ってもらえませんか?」との電話があった。その教え子は息を切らしてやってくるとこう言ったという。「先生、ものすごい発見をしました!これはもしかすると世の中が変わるくらいの発見かもしれません。」
そして、教え子はその発見した数式を丁寧に説明しだした。
教師は愕然とした。それは高校で普通にあっさりと教わる公式だったからだ。教師は聞いた、高校の参考書とか他の数学書の類は読んだことあるか?と。
すると教え子はこう言った。「いえ先生!全て独学でやりました!実は今日まで30年以上、毎晩寝る前の1時間をこの問題の追究だけに当ててきたんです!先生、この発見はすごいことですよね?」
教師は教え子にこの「発見」した公式は昔の数学者が発見済みであること、そして現在では高校の教科書に丸暗記するだけのものとして普通に載っていることを静かに告げた。
この教え子は非常に意気消沈して、それ以後音信が途絶えたという。
以上の話は、実話かどうかも定かでないし、芸術の話ではないが、非常に示唆的だと思う。
数学の場合は実益が優先されるべき学問なので、上記の「数学公式の後発自力発見者」のような者が報われることは有り得ないが、芸術の場合は実益だけに終始 するべきではないことは自明である。実際には、制作意図も動機も曖昧かつ抽象的で全く実益にならないどころか、実害のあるものすら存在し、何故だか高評価されているものもある。(だからといって芸術の名の下にやりたい放題やっている類は、私には到底許せないが。)
本人が全く知らなくても、圧倒的多数の人たちが知っているものと同じものと認識されれば「盗作」とみなされても仕方ないのかもしれない。しかし、 完成に至る経緯も努力も充分に吟味されないで、実社会では芸術に疎い興味本位の一般人たちが、脚色され記号化されたマスコミ報道を鵜呑みにして、意図的に 盗作したケースと同等に「犯罪者」扱いすることが多いのは、非常に遺憾に思う。
本当に意図的に盗作した人と、そういう意図がなく「盗作者」扱いされている人の顔って、見れば一目瞭然だと思うんだけどなあ。
(ニュースの音声を消してみれば…キャプションも消せればいいのだけど…、みんな判るはずなんだけどなあ、如何に言葉というものに惑わされてるかってことが。)
これは芸術が大衆に迎合・翻弄しつくされた一つの証(成れの果て?)と言えるのではないか?
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例えば音楽の場合、基本的には1オクターブの中に12しか音がないし、人間の可聴範囲内で実用になる範囲はせいぜい8オクターブほどしかないので、有史以降、メロディーというものは先人によってほぼ完全に出し尽くされてしまっていると言っても過言ではない。なので、メロディに対してどのコード
(和音)を選び、どんなリズムを選び、どんな音色(楽器・声質)で演奏するかを選び、さらにどんな歌詞を乗せ、どんなミックスをするのかということになるので、極論すればコンビネーションのみにしかオリジナリティが存在しないのかもしれない(ただでさえ少ない選択肢なのに、特に日本〜アジアの商業音楽で
は、創作者たち自らが「使える」と思うメロディやフレーズ等の選択肢を、あまりにも無意識に狭く考えてしまっているので、結果的にほとんどどれも同じに聴こえてしまう。まあ最近は欧米もそうだが。)。かといって微分音音楽とか民族音楽とかにのみオリジナリティがあるということでもないと思うし(笑)。
もちろん、曲よりも滲み出る人格やみんなに響かせるだけの勢いや想いはさらに重要だけれども。
まだはっきりとわからないけど、個人的には、何か未だ気づいていないコペルニクス的転回の画期的で強烈な打開策があるような気はしている。
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今のように玉石混交の状況に於いて、「オリジナリティとは何か?」を充分に熟慮しないで、未来の芸術なんてものはあるだろうのか?
芸術性と大衆性、前衛性と普遍性のバランスが今、問われているのではないだろうか?
…こうやって晩秋の夜を更かすアホが一人、ここに(笑)。
とんでもない疑問が湧いてきた。
音楽を含めた芸術の存亡にかかわる(?)根本命題だ。
音楽(芸術)に「現実逃避」作用以外の存在価値はあるんだろうか。
みんな毎日の生活上の苦しみを聴く(見る)ことで紛らわしたり忘れたりするが、
これはある意味「民主主義」という見えない奴隷制社会の中で、
動力源としての「奴隷人間」へのカンフル剤的なただの「エサ」ではないのか?
音楽(芸術)は人を豊かにすると言って、無条件に奨励されているが、本当に豊かになっているのか? 豊かになったように思わされているのではないのか?
昔と違って、今は奴隷が奴隷であるということを全く意識させない巧妙な心理テクニックを縦横に駆使した超奴隷制度がこの地球の文明の現状なのではないのか?
だとしたら、ミュージシャン(芸術家)というのは、本人が全く意識せずに「体制側」に加担させられている「犯罪者」なのかもしれない。(ここでいう体制とは、今存在するあらゆる政府のような幼稚なものではなく、もっと見えないところにある「意志」のことを言う。)
音楽(芸術)を通して伝えられた愛や平和も、所詮一定のガス抜きとしての作用を予定通り「体制側」が考慮済みだとしたら?
反戦・反体制・反独裁のメッセージすらも「体制側」が考慮済みだとしたら?
音楽(芸術)やアルコール・タバコ・ドラッグ・セックス・結婚制度・金・持ち家…これらは目の前にぶら下げられたにんじんとどう違うのか?
個人の尊厳と種全体の調和という相反することを同時に達成しろと求められているが、そんなことは本当に可能なのか?
個性を表現せずに芸術性を高めることなど不可能であるのに、
人類の平和を芸術で表現しようとするのは欺瞞にならないのか?
「ラブ&ピースをみんなに浸透させようとしている私ってすごいでしょ?」なんて意図が見えてくるヤツばっかり!
結局、エゴの増長になってる本末転倒…。
ホメイニ政権下のイランで一切の音楽が禁止されたのは、実は「正しいこと」なのかもしれない?
あの世のフランク・ザッパに訊いてみたい。生前の彼の主張どおり、音楽の検閲は暴挙なのかどうか。あの世からは真実が見えるだろうから…。
芸術に限らず、みんなやっているいろんな種類の仕事はどうして成り立っているの? 職業ってものの存在価値はそもそも何?
都会の雑踏を見ていると、まるでアリ塚のアリのように見えてくる…。
これについてはみんなの忌憚ない意見を聞きたい。
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俺は狂っているのか正気なのか。
あれ?、窓の外にどこかで見たことのあるような人影が…。
Agent Smithがお迎えにやってきたようだ…。
「At last, I've found the human who knows the truth without red pill.
Therefore you cannot stay in this wonderland any longer. Good-bye Mr.
Mitsugucci.」
うへ〜、助けて〜。
…なんちゃって(苦笑)。
元「モーニング娘。」の安倍なつみちゃんの「盗作問題」が大々的に取り上げられている。
私は、彼女をかわいい女の子だとは思うが特別ファンではない。
「モーニング娘。関係者」がアーティストか?と問われれば、私は実はそれには否定的な見解を出す側の人間だ。彼女達はマルチタレントであって芸術性に秀でているとまでは言えないと思う。
その上で今回の「盗作」追及には疑問を呈したい。
日刊ゲンダイの記事によるとこう書いてある。(以下抜粋して転載)
盗作の仕方はロコツだ。「トマトはピーマンになれない トマトは茄子になんかなれっこない」は「トマトにねぇ肥料をやったってさメロンにはならねんだなあ」(相田みつを)。「今もあなたに届けたいコトがこんなにあるの。ウレシィ」は「ねぇ今もあなたに届けたい事がこんなにある事がうれしい」(aiko)。「ねじれてた気持ちと一緒に飾らない言葉で伝える」は「ねじれてた気持ちと一緒に(中略)飾らない言葉で伝える」(小室哲哉)とそのまんま。これじゃ、アホな女子高生のカンニングみたいだ。
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どっちが「アホ」かと言わせていただく。
今の世の中、いろんな情報が溢れかえっていて、それがたとえ著名人の言葉であっても、それをいちいち誰の言葉だと明確に憶えきれるものではない。記憶にあ る言葉の中から、自分の言いたいことを綴っていけば、既に在る誰かの言葉とそっくりなものになっても全然不思議でない。しかも「指摘」された表現は全然特別ではないごくありふれた言葉ばかりだ。「盗作された側」の人間がこんなありふれた言葉にオリジナリティを主張するとは到底思えない。こういうつまらんことを追究するのは、いつも外野の人間だけだ。
もし仮に相田みつをやaikoや小室哲哉の著作なりCDの歌詞カードなりを真横に置いて、それを見ながら書いたというのならまさしく盗作だが、彼女の記憶にあるものから彼女自身の言いたいことを表現する時に、それが誰か過去に読んで感銘を受けた言葉と近い表現になることなど、人間なら誰しも極めて自然にあることじゃないか! この低俗紙の記者は、自分達にはそれが絶対ないとでもいうのか!
この記者の文章を、誰かの文体や比喩に似ていると追究してやろうか? 記者たちはこういうことを欺瞞だと気付かないのか気付かないふりをしているのか、とにかくどちらが「アホ」かともう一度言わせていただく。
上記の書き方は「まさしく似ている」と思うように誘導されている。「出る杭を打つ」という日本人の持つ最悪の要素が最悪の表現で最悪の結果を生み出している。自分の中の嫉妬を他人に伝染させるな! 何が報道の自由だ! こんなものは非常に低レベルな公害でしかない。
彼女の所属事務所はなんで謝罪するんだ? ごく少数のクレーマーに迎合するメリットってなんだ? ひとりの人間の人生を預かっているんだろう? 一番味方になるべきなのに裏切ってどうする! 逆に提訴できるくらいだぜ?
紳助さんの時と同じく「とにかく謝っときゃいい」なんてダメなんだよ。今の時代は「悪いことをしたのに謝罪しない」も「悪いことしてないのに謝罪してしまう」も、どちらでも事が収まらないように変わってしまったんだ。
それはみんなが「それは真実じゃない」と深いところで直感的に気づくようになったからだ。
理屈じゃない。
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私は、この問題を書きたてている者たちは相田みつをの言葉を引用しているのに、彼の言葉も精神も全く微塵も理解していない「偽善者」だと断じさせていただく。この言葉の意味を深く咀嚼せい!
「だってにんげんだもの」