38 posts tagged “社会批評”
前回の記事から、世の中にいろんなことがあったが、あえてブログに書かなかった。
しかし、それらの問題のほとんどは、人間がみな極めて近視眼的な短絡思考しかできなくなっていることから来ていると思えてならない。
・四川大地震における一時的な「親日」感情と、それをすぐに打ち消し、反日に戻そうとする中共政府と人民との駆け引き。
・歴史を無視した、韓国の竹島実効支配と対馬韓国領論という妄想の台頭。
・山本モナさん等への、非常に感情的な処罰感情と嫌悪感を煽りたてる「正義感」「倫理観」を一律的に強制しようという集合無意識的な動き。
みんな見えない「恐怖感」にコントロールされちまってる。
ただ、ひたすらヒステリックであって、人間的な暖かさの欠片もない。
あのさあ、現在未来を「過去の記憶」の再現や脚色だけに生きるのはもうやめようよ。
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最近、いろんな人たちと話していて痛切に感じるのは、「一を聞いて十を知る」というタイプの人は現在ではもはや絶滅寸前だということだ。
「一を聞いて一を知る」人ならまだいい。
だが実際には、かなり割合の人たちが「十を聞いて一すら理解できない」か「一を聞いたのに何故か三の立方根を小数点以下100桁まで憶えて、十を知ったよりも凄いから良いと思い込んでいる」か「一も知らないのに完全開き直っている」か「十を早く知りたい欲に勝てずに一から知ろうともせずに短絡的に(インターネットなどで?)結果だけ知ろうとする」かのような幼稚な状態に陥っているように感じる。
何も、私が「一を聞いて十まで分かる」タイプだと言っているのではない。
しかし、少なくとも五くらいまでは自分の頭で分かろうと努めているつもりだ。
いや、何が悔しいかというと、以前は思わずうーんと唸らされてしまうくらい凄い知恵や洞察を、惜しげも無くさらりと披露してくれる先達が数多居たものだが、今はただ一方通行的に自分の知恵や洞察を披露するばかりで、得るものが全くと言っていいほどないということだ。
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日常的に、表面的で無意味にセンセーショナルな言葉・表現に惑わされて、何が肝心なのかが分からなくされてしまっているようで…。
まるで激辛のコーティングがされたスナック菓子の芋や小麦の炭水化物の微妙な甘みを感じられない様子に似ている。
舌が麻痺して本当の甘さを感じているんだかよくわからないが、しかし甘さも若干あるようにも感じられて…。
(こういうことを書くと、何故か「筆者は辛いものが嫌い」と解釈してしまう人がいつも居ることに呆れてしまうのだが、おそらく、こういう人たちは「一を聞いて三の立方根」タイプなんだろう。言うまでもなく比喩表現なのだが…)
みんな精神的に余裕が無くなったからか、比喩表現を比喩ではなく、反語表現を反語ではなく、皮肉の表現を皮肉ではなく、そのまま真に受ける人たちばかりが出現してしまっている。
そんな状態でマスコミやインターネットの垂れ流す圧倒的物量の雑多な情報を得ても、互いの情報の中に関連性があることを全く発見できず、すべてバラバラの情報を記憶しようと処理するから、脳の能力をあっという間にオーバーフローしまい、肝心なことをみんな取りこぼす。
結果、ほとんど同じことでも状況が少し違うだけで、対処の仕方がわからないから教えてくれと言う。
「自分で考えれば分かるでしょ?」と言っても、逡巡もせずに「ただ分からない」と即答されてしまう。
この「人間総白痴化」は何が原因か? どう対処すべきか?
特に日本人の場合、おそるべき勢いで国語力・語彙力が低下させられている。
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全ての物事に於いて、何が肝心なのか、何が本質なのか、全く見えなくさせられている。
マスコミと口コミの共同作業の結果がこれだよ。
「物事を正しく見なければならない」って思い込みこそが、物事のそのままを見られなくしていることにいいかげん気付いたらどうかな?
自分の中の「正しさ」を絶対視せずに、その判断基準がどの程度のものなのか、冷静に検証してみたらどうなのかな?
もはや、「平和の祭典」の面影は微塵も無いが。
あんなものに「聖火」を名乗って欲しくない。
ナチスドイツが同じ「国威発揚」を目的とした、かのベルリンオリンピックの方がよほどマシだったかもしれない(暴言)。
(しかし、オリンピックを「国威発揚」「経済発展」に利用することすら、本来のオリンピックの精神からは外れまくってるんだけどね…)
「世界の警察」「唯一の超大国」を自認してきたアメリカの動きも不安定要因に満ちて、混沌としてきている。人権にうるさいはずのアメリカがこれだけ沈黙しているのも不気味だ。おそらく国の内部では、他国の状況どころではない「何か」が進行中なのではないだろうか。
過去にも、世界の動向を(個人的に)予想した文章は、旧ブログではいろいろ書いていたけど、その一部を抜粋したいと思う。
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※2007年7月16日の旧ブログ記事より
「 《人間の家畜化・獣化》 かの中国では致死性風邪薬や苛性ソーダ漬け段ボール&病死豚肉ミンチの肉まんなど氷山の一角。こんなに何もかもがデタラメなんて…。他人がどうなろうと自 分の利益になるんだったら知ったこっちゃないってことだよね。他にも多方面に問題が発生しまくるだろうから、北京オリンピック中止になるかもよ、冗談じゃ なく。
こういうことがどんどん表沙汰になっていくことで、彼らの主張する「日本の戦争犯罪行為」なるものも信憑性がないことがいずれはっきりするだろう。
13億人の大家族をなんとか食わせなきゃとなるから、デリカシーがなくなるし、妙に傲慢にもなる。所帯を分けて核家族化(分国・独立)した方が末端の人民には生きやすいと思うのだが。 」
※2007年7月27日の旧ブログ記事より
「 意図的に日本では全く報道されてないようだが、少なくともアメリカの崩壊・解体の動きは現実に加速している。
(メキシコ・カナダと合併して北米版EUを目指し、同時に世界最大の債務国アメリカの通貨ドルを廃止して、アメリカの借金棒引を目論んでいるという話がある。一方、ヴァージニア州を始めとする一部の州では合衆国からの離脱を州議会で議論している!)
同じく意図的に日本では全く報道されてないようだが、中国では地方で大災害や民衆蜂起が頻発し、今は辛うじて軍の力で止めているがもはや限界だという。そ のうちいろんな要因が重なって来年の北京オリンピックは少なくとも開催数日で中断になるだろう。これが中国崩壊のきっかけとなる可能性は高い。
(一例を挙げれば、外国人選手・観光客の金品を狙うために、地方の貧困層が窃盗目的で大挙して北京に押し寄せることなどが容易に想像できる。) 」
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前者、昨年7月16日の記事から約半年後、例の毒ギョーザ事件が発覚するのだが、いつの間にか話題にもならなくなっている。
(中国側は国ぐるみで日本の反中国思想分子の仕業と結論づけて、強引に幕引きを図った)
後者、昨年7月27日の記事を書いてから後、米国のサブプライムローン問題が深刻になっていき、株安&円高ドル安&石油高騰になったのはご存知の通り。世界の基軸通貨が、本格的にドルからユーロに移行しはじめている。
全ての石油関連の決済をドルからユーロに変更すると言明している国が増えてきた。
また、厳しく情報統制されていたウイグルや内モンゴルやチベットの暴動や中国辺境の災害(人災)多発などの真相も、ようやく欧米のメディアによって明らかにされてきている。
特に今回チベット人が野蛮だという演出をして、中国のチベット支配の正当性を広くオリンピックの機会に世界に喧伝するために、かつての太平洋戦争時の対日 戦と同じ「便衣兵」という手口を使って、人民解放軍の工作部隊(漢民族)がチベット人僧侶に偽装してデモを起こした。そのうち本当のチベット人がそれに巻 き込まれて大規模な暴動に発展したことを口実に、人民解放軍が軍事制圧をした。
過去はそのような中共(中国共産党の略)の「工作」はほぼ完璧にうまく隠蔽できたのだが、こういう「隠し事ができない時代」になっている現在、さすがにその手口が暴露され、それゆえ世界中でFree Tibetと叫ばれている訳である。
さらに、かつての満州と同じように、少数民族の居住区に、その民族の人口を遥かに凌駕する漢民族を移住させて「同化」させるという静かな侵略行為をもっ て、漢民族による支配の正当化を他国に追認させ、実際には少数民族の文化を破壊し尽くしている現状のおぞましさに、さすがに世界中の人間が許容できなく なったわけである。
(まるで「Resistance is futile. You will be assimilated.(無駄な抵抗はやめろ。お前たちは同化される。)」と宣い、次々と別の種族を襲い個の意識を抹消して集合意識のみに従うアンドロ イドにしてしまう、スタートレックの新シリーズに出てくる機械生命体「ボーグ」みたい:苦笑)
衛生面・人権面・政治的背景・極貧困層の強盗と略奪の横行・中華思想的愛国精神から中国選手が負けそうな試合での中国人観客の妨害、負けた試合後の暴動等の治安悪化など、いろんな理由から、開催数日で北京オリンピックは中止になるだろう。
もし、無理にオリンピックを決行しても、それをきっかけに中華人民共和国は内部崩壊の一途を辿るだろう。同時に現代オリンピックの精神・意義が失われるので、今後予定される全オリンピックが無期延期になる可能性も否めないだろう。
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チベット人には独立する権利がある。少なくとも真の自治を勝ち取る権利がある。
それでも中国人には、オリンピックを開催する権利は一応ある。
しかし、中国共産党には、オリンピックを開催する資格もセンスもまるでない。
いや、国家を運営するセンス、外交センスがもはやない。
そして、そんな中共に多少反発しながらも、こういう「中華思想」をくすぐられるような世論誘導には、施政者の思惑通り従順になってしまうくらいに愚民化教育を施された億単位の無辜の民…。
元々、支那には道徳心のある思慮深い人が多いはずだが。
否、そういう知識人・資産家・王族たちは、中共に根こそぎ粛正されちまったから…。(おまけにその犠牲者は全て旧日本軍のせいだとされてしまっている…)
かの国の基盤の何もかもが、どこの馬の骨とも知れない、根拠の無いデタラメだらけだから…。
自分が食うことに血眼になっていて、自己正当化と感情だけの「自分を冷静に見つめるセンスがない」デリカシーのかけらもない人たちに、人間の尊厳や誠意、フェアプレイの意味を理解させる術などあるのだろうか…。
これをわりとスピリチュアル系と自認している人たちはこぞって諸手を挙げて、もしくは号泣しながら絶賛してらっしゃるので、どんなもんかと少し見るなり、ものすごくゲンナリ…。
「なんやねん、これ?」
…あ〜あ、ぶっちゃけ書いちゃった(笑)。
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「クリスタルチルドレン」という言葉がこういう形で歌になり、全国に放映されるというのは、確かに「時代が変わったんだねえ」という若干の感慨みたいなも のは感じますが、ただそれだけじゃないの?と思うし、「今の時代絶対ウケるね」と流行の最先端を気取ったプロデューサーが足を組んでふんぞり返っている図 を正直想像してしまいました(笑)。
だって、当たり障りの無い純真っぽい言葉(でも大人が書いている)、言い換えれば綺麗事をあどけない子供に歌わせて感動させようなどという、大人の魂胆が見え見えだもの。
本当に感動したという方もいるかもしれませんが、何かこういう「善意」のものは、「絶賛したほうが精神性の高い人たちに一目置いてもらえる」みたいな打算で「すごく感動した」と言っている自称「スピリチュアル系」の人も多いんじゃないかって思います。
なんせ、「こういう時代」ですからみんなのウケがいいものね(皮肉)。
まあ、小学校中学年以下の子供には情操教育的にそれなりの歌詞なのかもしれないが、歌詞はなんか自分たちで変えていこうということよりも、妄想の勧めみたいに聞こえる(暴言)。
しかも、芸術性皆無。イルカに乗ってるなんてベタ過ぎ(苦笑)。
モチーフが「感動的ですばらしい」と思い込んでしまうと、ものすごく低質でもそれに気づかなかったり許容してしまったりするのかなあ?
だから、芸術が廃れていくんだよなあ。
同じ「みんなのうた」でも、「おしりかじり虫」の方がまったくナンセンスだけど、ただ楽しくなるという意味においても、芸術性という意味においてもよほど優れていると思います。
ところで、日常たいしたことないものでも反射的で安易に「いい」って形容をしている人って、本当にいいものに出会ったときに、なんて表現するんだろう?
「すごくいい」? 「めちゃくちゃいい」? 「オニ、サイコー」?
それってただのボキャ貧だよねえ。言葉が死んでいってる。
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私のことを個人的によく知っている人にはお分かりだと思いますが、私はいわゆる「スピリチュアル系」「精神世界系」「ニューエイジ系」といったものについて、知識はあるけど、はっきり言ってキ・ラ・イです。
特に、地に足のついていないところが嫌いです。
自分の過去世を現世の言い訳にするところや、「善意」であれば吟味もせずにいいことだと思い込んでしまう単細胞的思考パターンに無意識に相互洗脳してしま うところ、また、理性をかなぐり捨てて他人の言うなりになることを自分で選択しておきながらうまくいかなければ他人のせいにするところや、改善しようとす ればするほど「ネガティブなもの」という幻想にますます焦点が固着させられてしまうところなど、全く共感できません。
海外に比べると(まあ、海外でもどうしようもないのはたくさんあるけど)、日本のスピリチュアル系全体の幼児性には、非常に驚かされると同時に、ものすごく愕然とさせられます。
だからだと思いますが、直接話したり聴いたりするたびにエリック・パール博士の感覚って自分とものすごく似てるなあと思わされるんです。
(物事を茶化してみるのが大好きだし、多観点から掘り下げて検証してみるのも好きだし、ダイエットドクターペッパーも好きだし:笑)
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現代日本社会は、かなり弱肉強食的になってしまっているけど、それについていけない人に対しては、「癒し」と称したエサというか、母性愛偏向的な現実逃避 や習慣性・依存性を促して浪費させるというか、結局 経済的搾取というか、やっぱり弱肉強食なんじゃねえかってなことを感じさせられます。
もちろん、同情すべき状況の人たちも多いと感じるのですが、なんとも とんちんかんで安易過ぎる「対症療法的解決策」しか目につかないような社会構造になってしまっていて、常々なんとかできないかとは思っているのですが…。
これからは現実逃避的で偽善的な「癒し」というよりは、現実に地に足のついた癒しというかむしろ活性化の方が必要だよってやっぱり個人的には思います。
みんな自分に喝を入れませうぜ!
P.S. ところで妻のみちるのブログ「ののの の きぶん」に私の分身キャラ(笑)のうた&おどりの動画がリンクされていますので、ぜひごらんください。体形やアホっぽさがとてもよく似てるとのことです(笑)。
♪Macho, macho man…♪
連日、感染フィブリノゲン製剤によるC型肝炎患者たちの、国への賠償請求の話題が報じられている。
確かに薬害であることは間違いないし、感染者リストを厚生労働省が放置したのは言語道断である。
早急にまだ見つかっていない該当者を見つけ出し告知する必要はあるし、補償の必要も当然ある。
現在、原告団である彼らは、「一律救済」という解決法を望んでいるというが、
しかし、私は正直違和感を感じてしまう。
ここからは、批難を承知で書きたいと思う。
***
確かに、予期しない病状の急激な進行も考えられるため、一刻も早い解決をしなければいけないのは言うまでもない。
原告団の言う「一律救済」は、気持ちは分かるが、実効性という意味で、どこまでの範囲の人を救済すべきかという問題が生じる。感染製剤を投与されて感染した人から、さらに知らずに感染させられた人まで含めれば、あまりにも膨大で、その人たちも含めて「一律」に同額の見舞金や治療費を出すというのは、国家運営上困難である、下手をすれば国家の財政が破綻の方向に向かうことすら考えられる。
(他の薬害や公害の場合も、同様に無限に補償しなければいけないという悪しき前例になってしまう)
舛添厚生労働大臣や福田総理大臣は「論点を整理していい形で問題解決したい」と言うが、これは時間稼ぎ等という次元の低い批評に当たるものではなく、ものすごく高度な政治決断である。
まずは、少なくとも原告や、リストに載っていて今後原告に加わるであろう人たちの救済をまずやるべきと思う。が、その方法が肝心である。
**
ここで、敢えて現代社会における賠償方法の欠点・盲点を指摘したい。
それは、現代においては、賠償方法が全てお金に換算されてしまうという欠点である。
確かに、感染製剤を投与された人たちの感染の「機会」は均等なのだが、それぞれの人の身体の耐性や体力や遺伝的形質によって、出てくる症状や進行状況は全く異なってくる。
特に、治療費の補償と、感染したことによる生活費等の補助及び慰謝料は明確に分けるべきだ。
肝炎に感染したことによる就業困難については、収入見込額に応じた補償をお金ですることは可能で、慰謝料も同様だが、治療費については、一律金額 を各患者に補償する(現金等を手渡す)のではなく、それぞれの患者に「肝炎とそれに付随する一切の症状の治療・手術(場合によっては通常保険適用外のあら ゆる治療法・代替医療を含む)を一生涯、国家が全額負担する」という特別証を付与するという解決法があるのではないだろうか?
明確に分離しないと、いつの間にか「一人当たり幾ら」という金額の方に意識がフォーカスされてしまって、完全治癒という本来の目的を見失う。
こういうことに妙な「平等精神」を持ち込むべきでない。
補償金額が平等であっても意味がない!
それぞれの患者の症状に応じた、完治へ向かう為に必要な治療を受けられる権利こそ平等にすべきなのだ!
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「よりたくさんの患者に、より多くの額の補償を勝ち取る」ことが目的ではなく、
「病気が完全に治癒され、それによって奪われていたいろんな自由を取り戻す」ことこそが目的なのだから。
亀田親子に対してのバッシングがものすごく甚だしい。
はっきり言って、彼らのデリカシーのなさには辟易するし、個人的に彼らはずっと嫌いだったが、それでも同情すべき点が一つある。
今の世の中、テレビ・電車の吊り広告・低俗週刊誌&夕刊紙・インターネット匿名掲示板等で、人を強烈に誘惑・誤解・事実誤認させるネタをさんざん 与えておきながら、いざそれに引っかかってしまった人を面白おかしくここぞとばかりに完膚なきまでに叩きのめす、そんな陰湿な「イジメ体質」が社会に蔓延 している…というよりみんな麻痺して無自覚に突き動かされているように思う。
センセーショナルに話題を作るためだけで粗製濫造して垂れ流され、そして日和見的な評価が付けられたゲームやドラマや映画などが、サブリミナルな洗脳となっていることは間違いない。
今回、マスコミは亀田親子を現実に程遠い「時代の寵児」的な幻影として作り上げ、その「反響」の大きさに、亀田親子は勘違いさせられてしまい、し
かし実際に「現実」が露呈したその瞬間に、味方も敵に転じ、元々批判的な者もさらに批判的に、雪崩の如く「四面楚歌」状態に陥れば、いくら親の教育がなっ
ていないとは言え、そのこととは関係なく20歳に満たない少年が茫然自失になるのは当然だ。
「反則行為」は許されるわけもないが、化けの皮が剥がされることに対する彼らなりの必死の抵抗だったのだろう。
一方マスコミは、次は対戦相手の内藤選手を「誘惑」するのに躍起だが、ここで調子に乗らされてしまうと、数年後バッシングに遭うのは必至だろう。
その点、内藤選手は賢く身をかわしそうだけど、アナウンサー等の誘導尋問的愚問の数々に「なんてアホな質問をするんだ?」と思わずブラウン管に向かってツッコまずにはいられない(笑)。
態度は全く褒められたもんじゃないが「エリカ様」がふてくされたくなるのも理解できないでもないな(笑)。
***
こういうどうでもいいことが、あたかも「日本国民の最重要事項」のように取り上げられる一方で、例えば「障害者自立支援法という悪法」による現場 の惨状など、報道しなくてはいけないはずのことを伝えていないのはおかしいと村上龍氏も言っていたし、私も過去の記事で似たようなマスコミの欺瞞を指摘し ていた気がするが、個々の問題の是非はともかく、一般国民が見落としてしまった肝心な事柄に注意喚起してこそ、マスコミの存在意義があると思うのだ。
安倍前総理の時もそうだったし、昨今続発する万引き犯を店員が死ぬまで殴打する事件もそうだが、近年の日本人は、例えれば「瀕死の者」に跨がって、気絶しても構わず顔を殴り続けるような陰湿で執拗な人種になったように思えてならない。
これは「強迫観念・恐怖心で民衆をコントロールする方法」の全世界への輸出に、アメリカが見事に成功してしまった結果だとも思うのだが。
まあ、でもその「世界的恐怖政治」も数年しか保つまい。
みんな、臨界寸前だから。
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急にここ数日、タブーであったはずの創価学会絡みの記事がマスコミに出るようになってきた。
これは吉兆かも? 何か動いたか?
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メガマックにメガ牛丼。
でかけりゃいいってもんでもないと言いながら食ってみたいとも思う小市民はどこのどいつだ?
…ワタシだよ(笑)。
なんて、にしおかすみこ調で書いてて思ったけど、
みなさん、最近にしおかさんのメイクが薄くなってるような気がしない?(笑)
さんざん「どうでもいいことを報道するマスコミ」の批判しておいて、こんなこと書くなって言われそうだな(笑)。おっぱっぴ。
今ある参議院議員宿舎が老朽化して、立て直す必要があるとのことで、現在の敷地に隣接する自然林の国有地を潰して、風致地域にも関わらず、地上56mの高層ビルの宿舎を立てる計画があるという。
これに対して、石原慎太郎東京都知事と猪瀬直樹副知事が現地視察して、建設反対を明言したが、至極当然だと思う。
風致地区なのでこの周囲は地上15mの高さ制限があるのだが、公共性の高い建物に関しては特例を認めるという都条例の適用を前提に、56mという高さの設計にしたという。
しかも、隣接地は樹齢300年以上の木も生えている、いまや貴重な自然が残された場所であるにも関わらず、それらを整地し新しいビルを建てるという。
石原さんは「なんで今建っている建物の敷地内で改築することを考えないのか。こんな貴重な自然を壊してまで建てるなんてナンセンスですよ。私は実 際に視察に来てみて、反対することに決めました。改築の間、都でプレハブでもなんでも用意するので(笑)、議員さんたちにそこに移っていただければいい じゃないですか。」と言っていたが、まさしくそのとおり。
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そこで疑問なのだが、どうして衆議院・参議院きっちり別にしなければいけないのだろうか?
あの誰も入らないままガラガラだという赤坂の衆議院議員宿舎を国会議員宿舎にして、参議院議員も入居すればいいじゃないか!
赤坂の宿舎に未だに反対している人たちに言いたいが、建ってしまったものはしょうがないから、有効利用しないとダメなんじゃないですか? だいたい反対しているあなたたちが、報道なんかで知ったときにはもう建ってしまった後なんだから。
家賃云々は別に安くたって、その分、議員たちにちゃんと仕事してもらえるようにしむければいいじゃないですか?
税金の無駄を訴えるなら、もっと現実的に考えないとダメだと思う。
今回の参議院議員宿舎はまだ計画段階で、着工以前の申請段階だから、いくらでも阻止はできる。
まあ、おそらく今回は計画は流れると思うので、安心しているが、
しかし今のこのタイミングで、こんなものを建てようと思う議員や官僚のセンスが情けない。
安倍改造内閣の新閣僚にも、「政治とカネ」の問題が発覚しつつあるとやらで、マスコミや野党がつまらぬ攻撃をしているが、いったい何がそんなに問題なんだろうか?
自民党と民主党の半分はもともと同じ穴のムジナなので、政治資金をどうやって捻出するかの手の内は互いに知り尽くしている。
だから、あまり政治に興味の無い国民に対して、今は民主党がイメージでは自民党よりもクリーンに思わせることに一応成功しているが、実際に民主党が政権を 取ったところで、早晩自民党から反撃されるだけで、何の意味も無い。民主党は今、ひたすら自らの将来の墓穴を掘り続けているだけなのである(笑)。こうい うのを自業自得という(笑)。
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ここからは世間の考え方からは逸脱するだろうが、是非とも自論を書きたい。
まず「政治とカネ」で騒ぎ暴露して「正義を振りかざす」民主党等の野党の行為は、人気取り以外の何者でもない。
政治をやるにも何をするにも「カネ」が必要なのは当たり前、問題は使い道なのだが、私はそれを問うタイミングが今じゃないといけないのか疑問に思う。
特に安倍政権になってから、緊急を要し山積する国家規模の問題に対して、それに対する適正な処理がほとんど何もできていないと感じる。それは安倍 氏が無能というよりも、安倍氏の性格から野党が攻撃しやすい「隙」があって、それを民主党の妖怪ども(苦笑)が見逃さなかったために、国会運営がストップ するように「工作」されたに過ぎない。
「民主党」の妖怪どもは、「二大政党制の実現」が他の案件よりも遥かに優先すべきことだと半ば原理主義的に信じており、その遂行の為に障害になる自民党に対して「情報テロ」を仕掛けているようなものだ。
でも「二大政党制の国が最も進んだ民主主義国」というのはどう考えても大間違いで、政権を取り合うためには、どうしても国民の意見が平均的に反映
するため、その二党が政策的にもかなり似通ったものになってしまう。違いがあるとすれば、支持母体となる団体の思想が反映するからである。
だから、双方が善しとすることにはなんのチェック機構も働かないということになり、米国のように軍産複合体のために好戦的になったり、石油メジャーのために京都議定書批准拒否ということになってしまう。
これのどこが優れた民主主義なのだ?
(そもそも民主党結党時は二大政党制を否定し第3極を狙うという目的だったはず。やはり鳩山・管は妖怪だ。)
日本人の性質からすると多党制の方がいい。いずれにせよ「大政翼賛会」はもう要らない。自民党ももう少しコンパクトでいい。
石原新党でも小泉新党でもいいから、自民・民主両党を解党して一から作り直してもらいたい。某政教一致政党を追い出してもらいたい。
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「政治とカネ」という自民党の弱点、それはそのままほとんど全政党の弱点でもあるのだが、それがただ「政権政党だから」という理由だけで、差別的にクローズアップされ、それを煽り立てているのが、民主党等野党勢力と反権力を美徳と勘違いしているマスコミなのだ。
ここでみなさんに問いたい。
閣僚になるまでネタを温存して、いざ大臣になったら、ネタをマスコミにリークするような、そんな卑怯な手口を使う人間を信用できますか?
その卑怯さ卑劣さに比べれば、会計をごまかして政治資金を作ろうとしていることなどは全然かわいいとは思いませんか?
(勿論、不正がいいとは決して思わないが、どちらが政治家の資質としてマトモかを、敢えて問いたい)
特に民主党の連中に対し、彼らがやっているこれらの「情報テロ」行為は結果的に国会運営の「逆性サボタージュ」と等しいことだと訴えたい。
あれだけの詳細が分かるという事は、それを日常的に調査し管理している者たちがいるということであって、それを直接間接「雇って」いるのが、民主党に属する者たちや、「反体制」という言葉に心酔して現状ほとんど無意識に左に寄り過ぎてしまっているマスコミなのだ。
そんな興信所まがいの行為は、民主党の場合、現時点では相手が政敵だから「正当な政治活動だ」と言うのかもしれないが、これが民主党に敵対する一般市民やその他団体にいつ向かないとも限らない。(小沢氏ならやりかねない?)
マスコミの場合、相も変わらず「知る権利」「報道の自由」を根拠にやりたい放題である。
「でも、そんな諜報活動は、自民党の方こそ、ずっとやってきたんじゃないのか?」という方がいらっしゃると思うが、しかし自民党側は良くも悪くも脇が甘
く、そこまで思い切った謀略ができるような「悪意を持った仕掛人」は少ないだろう。ある意味お人好しが多いというか…。だから姑息な民主党側にやられっ放
しな訳で。
(余談ですが、どうして同じ与党の公明党からは全く何も不祥事が聞こえてこないのは何故だかわかりますか? 本当に日常的に謀略をやってる「プロ」はこんなふうに押さえ込めるわけです。)
「政治とカネ」という意味では、架空請求とか多重計上だなんだという大臣や議員よりも、国会を意図的にサボタージュする勢力の方が、よほど税金の無駄遣いだろう?
はっきり言って国民の利益や財産の損失額の桁がはるかに違う。
「自党に有利になるように意図的に議事をサボタージュ・ボイコットする」彼らの影響で、結果、恐るべき勢いで国力を失わしめ、国家の混乱を生み、その隙に世界各国のスパイや工作員の活動を許してしまっているというのに。
二大政党制の是非以外のさしたる違いも無いのに敵視し、相手の勢力の足下をすくうような謀略ばかりをやって、重箱の隅をつつき続けるその精神こそ異常と強く訴えたい。
「一度、民主党が政権を取らないと政治の異常を正すことができません」という考え方こそ、異常だと強く訴えたいのだ。
自民党にもどうしようもない人はいるけど、他の党にももっと酷いのがいる。
ちょっと見れば分かる簡単な事を、政治無関心で世論に流されやすい有権者たちが理解しない限り、亡国の徒は跋扈し続ける。
奴らは感情を掻き立てるのが得意なので、「国民の大切な血税が…」とか「与党議員、特に閣僚経験者がこんなに優遇されていいのか?」などと、一般 民衆の琴線に触れやすい言葉を駆使しているが、それも重大なプロパガンダ・世論誘導であることをゆめゆめお忘れなく。(金を敢えて「カネ」と表現するところにマスコミの悪意といやらしさを感じずにはいられない。)
超党派の挙国一致でやらないと、間に合わないことだらけだというのに…。
枝葉末節にこだわっているうちに、大局を見失う。
あゝ、情けない…。
とにかく閣僚にちゃんと仕事をさせてやって欲しい。
実際に任ぜられた仕事をさせてみて、ダメだと分かった時点でできるだけ早く取っ替えればいい。
仕事をやる前から失脚させるネタ(噂)を温存し、仕事を始めようとしたタイミングで、事実無根の情報すら捏造してまで垂れ流す。これじゃどんな有能な人間でも何も出来ない。
自分を棚に上げて「政治家は全知全能で正しいことをしないとダメだ」というあんたたちは何様なんだ?
人間に誰しもある弱い部分・過去の過ちばかりをフォーカスして、能力を発揮する以前に次々抹殺していく、こんなふうに影響力を濫用する超絶的ネガティブシンキングの者たちこそ、議会やマスコミから追い出すべきではないのか!
ホントにいい政策を遂行できて圧倒的多数の国民に有益になるのなら、個人的にその議員が何かを信仰していようが(但し公明党議員は信仰というより狂信的に
国家を乗っ取ることを命題としているので論外)、愛人がいようが、莫大な遺産を持っていようが、世襲議員であろうが、「なんとか水」を愛飲していようが、
業者等に多少の便宜を図ろうが、多少変な性癖があろうが、構わないではないか!
それらは議員個人の問題であって国政全体の問題ではない。
よってこれを政争の具、政権交代の奇策とする者たちを、全くの阿呆共だと言いたい。
正義正義と、無差別無分別に「真理を追究」すると言っている連中が、どれほど問題を複雑化し、物事を攪乱しているか。なのに奴らは全く自覚がな い。それどころか「自分は正しいことをやっている」という自己満足と自己主張をタイミングも何も考えずにやり散らかす者たちが、最近ものすごく増えてきた ように思えてならない。
でも、これこそ「真理追究」を大義名分にした原理主義であり、「無差別テロ」ではないのか?
そういう者たちの背中の、手が届きにくいところに、「自己欺瞞」と書かれたレッテルをもれなく貼り付けてやりたい気分だ(笑)。
***
国会議員のみなさん、国家の為に最優先しなけりゃいけない事が何なのか、今一度真剣に考えてみてください。
議員やるからには命くらい懸けてください。
もう我慢できません。
参院選に関連して各政党のCMが流れているが、好き勝手に評してみる。
個人的に一番嫌いなのは公明党のCM。「未来に責任を取る政治」といいながら、本音は「池○氏が全てを決める(独裁)政治」なんだろう?(爆弾発言1)
次に嫌いなのは民主党のCM。「生活」をキーワードにしているが、一般国民の生活を全く知らなさそーなあんたに言われたくないよ!(爆弾発言2)
自民党のCMは面白くない。ただ面白くない。まあ、今の状況じゃ冒険できないか…。何をやっても叩かれるネタになっちまうし。
個人的に一番好きなのは国民新党のCM(笑)。あそこまで徹底してナンセンスだとかえって好感が持てるよ(笑)。いや今回は票を入れませんけどね、たぶん(笑)。
あの亀井さんが熱唱(?)する曲「お母さん」。作詞があの「おふくろさん」の川内康範氏なのが笑える。「おふくろさん」つながりだけに、旧「森」派が牛耳る自民党を皮肉ったブラックジョークとも取れるか(笑)。(←深読みし過ぎ?)
郵政民営化完了した後には、国民新党の面々はもはや自民党に対して反対するさしたる理由も無くなるのだからね。基本的に綿貫さんたちは好きなので応援したいんだけどね。
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なんと刈羽原発にIAEAの査察が入るという。日本の原発に査察が入るというのは異例だけど、これで電力会社が隠しておきたかったことが洗いざらい出てくることを期待する。(よく日本政府が許可したもんだ)
2003年9月26日に書いた当コラムの記事「夏が終わって東京電力は一安心だろうが、あえてエネルギー問題を問う。」にも書い たが、私は原発については廃止論者なので、今まで電力会社に言いくるめられていた与党の国会議員たちが、真相を知るいい機会になると思う。
「原発がないと電力供給が絶対間に合わない」だなんて、実際は大嘘だもん。
原発の稼働率を上げるために、火力や水力を止めてんだから。
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夕方たまたま、フジテレビの再放送ドラマを見た。
各俳優・女優陣の好き嫌いや演技が上手下手とか横に置いといても、やっぱ「ビーチボーイズ」ってドラマは好きだね。
「世界観」がいいんだよね。外房の海は綺麗だし、大人の青春って感じで楽しそうで…。
何故か不思議と未だにDVD化されてないけど、いつでも見たいと思ってしまう。
心に残るドラマ(映画)って、如何に登場人物やその世界観に感情移入が容易にできるか、如何に配役にハズレがないかで決まると思う。そう、一人でも脇役がいないとドラマが成り立たないほどの絶妙さ。これがいいドラマ(映画)の条件だろう。
しかし見てて思ったけど、この世の人類みんな、本当はこんな風に敵味方も無く、政治も経済も何も考えなくてよく、変にスピリチュアルにかぶれることもなく、そして環境保護団体のようにヒステリックじゃない、ただ「普通」のエコロジー生活を、気持ちよく過ごしたいんだよね。
何も20代じゃなくても、幾つになってもできるはずだよね、ホントは。
《感情的になった挙句の思考停止》
参院選の最大の「焦点」となっている社保庁の問題は、ずっと政権政党だった自民党こそが原因だとマスコミや世論が思い込んでいるので、今回の選挙は民主党有利と言われるけど、みんな社保庁の労働組合が民主党最大の支持母体である自治労(全日本自治団体労働組合)の中でも「最強部隊」と言われる組合って知ってた?
(この「最強」って、如何に労働者が働かないで楽ができるようにと主張し、ゴリ押しする組織として最強って意味だからね!)
民主党が勝ったら余計に何も変えられないと思いませんか? 一時の感情と思い込みで民主党が勝てば変わると思うのは余りにも短絡的ですよ! (あらゆることを熟慮の上で民主党に入れるというなら何も文句は言いませんが。)
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《人間の家畜化・獣化》
かの中国では致死性風邪薬や苛性ソーダ漬け段ボール&病死豚肉ミンチの肉まんなど氷山の一角。こんなに何もかもがデタラメなんて…。他人がどうなろうと自分の利益になるんだったら知ったこっちゃないってことだよね。他にも多方面に問題が発生しまくるだろうから、北京オリンピック中止になるかもよ、
冗談じゃなく。
こういうことがどんどん表沙汰になっていくことで、彼らの主張する「日本の戦争犯罪行為」なるものも信憑性がないことがいずれはっきりするだろう。
13億人の大家族をなんとか食わせなきゃとなるから、デリカシーがなくなるし、妙に傲慢にもなる。所帯を分けて核家族化(分国・独立)した方が末端の人民には生きやすいと思うのだが。
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《隠れた意図》
日本人の拉致問題の重要な証人であった元北朝鮮工作員が、さんざん泳がされた挙句、今になって「覚醒剤密輸」の罪で韓国当局に逮捕されたが、どう
も胡散臭い。「北朝鮮の拉致」に対するスタンスが日本政府と正反対の韓国当局にとって、日本で活躍し拉致の詳細を明かす彼が「邪魔者」になったんだろう。
施政者の胸先三寸でシルミド(実尾島)事件みたいなことが起こる国だからね。
中国と同じで、とにかく何から何まで謀略の応酬でやってきてるから…。非常に哀れだとは思うが、でも結局一番迷惑を被っているのが我が日本だから…。ホントやなこった。
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《明るい話題》
昨今ホントに少なくなったのだが、マスコミの責任は非常に大きい。如何に暗い話題が増えているとはいえ、実際の頻度よりも印象的に高頻度に感じるよう誘導的に報道しているのは大問題だ。
個人的には桑田選手の活躍とかイチロー選手の快挙とか嬉しいが、明るい話題がスポーツくらいしか目立たないのはどうにも不思議でならない。
ここでは何度何度もしつこく書いているが、「全てを知ること=いいこと・正義」というのは大いなる勘違いだと思う。「知る権利」とか「知らないと恥ずかしい」とかに捕らわれて、自分でコントロールできないほどの情報の濁流に呑まれて、結局肝心なことが何なのかが分からなくなっている。
「嫌煙権」と同じような「知りたくない権利」がやがて主張され始めるだろうと思う。
「不正に目をつむる」ことと「自分に不必要で知らないでいいことをそのままにしておく」ことは全く似て非なるもの。
心をむやみに掻き乱され、自分のやるべきことに集中できないような「情報」は、いくらそれが正義や正論であっても、あなたには全く不必要な情報なのですよ!
勝手に目に入ってきてしまう電車の吊り広告や新聞広告も、嫌でも勝手に見聞きしてしまう放送も、どちらも「真実」を知らなければいけないという脅迫観念に満ちていて、それが如何に事実であろうとも、かえって本質から離れた印象を持たされ、真実には程遠いものになっていることもよくあります。「事実=真実」ではないのです。
木を見ずに、かなり離れたところから森を見ましょうね。
21世紀の今、全芸術に於いて、盗作使用とリスペクト使用(若しくはパロディなど)、さらに無自覚使用の差異を、果たしてその意図の違い以外に区別・評価を正当に下すことなど可能なのだろうか?
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街を歩けば、どんなに見聴きしたくなくとも強制的にサブリミナルに見聴きさせられてしまうくらい、いろんなものがゴミ箱や掃き溜めのように雑然と溢れかえっている今の世の中では、「オリジナリティ」なるものの確立は、例えば40年前と比較するとはるかに困難なものに思える。
最近よく聞く盗作訴訟のパターンは、被告人がはるか過去にどこかで何気なく見聞きしたものか当時は相当の程度で嗜好していながら今はさほど興味もなかったものが、最近になって何かきっかけになる事柄によって思い浮かび、それがもはや自分の創作なのか記憶なのかもはっきり自覚がないか、自分の創作であると疑わないまま、世間に大々的に発表するも、然る後、それが特定のマニア的人物によってインターネット上で「ある作品の盗作」だと確信的・感情的もしくは愉快犯的に「暴露」され、何かの経緯でその「原作者」が「盗作された」と真に受けることに至り、類似点を多数あげつらって告訴することになったというものがほとんどである。
その際問題になるのは、被告人が盗作を認めるか否か、盗作元の原作をどの程度知っていたか、知らないにしても相応に人口に膾炙しているものであるかどうか、ということである。
しかし、一般的に広く知られているものでも、ある人には全く興味の対象でないから全く知らないっていうケースも意外に多くある。みなさんもこういうフレーズたまに聴くでしょう?「うそ!?なんでこんなことくらいも知らないの?」
(私の場合、実際にそういう「興味のあること以外は、信じられないほど一般常識的なことすら知らない人」が身近にいた経験が過去にあったので…。)
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高校の時、こんな話を聞いた事がある。
ずば抜けて成績優秀な或る中学生がいた。彼は特に数学に秀でていたが、家庭の事情で工場の跡取りとして就職を選び、高校に進学しなかった。しかし、担任の数学教師とは卒業後もしばしば顔を合わせていたという。
30年以上経った或る日の深夜、その教師宅にその教え子から「すぐに会ってもらえませんか?」との電話があった。その教え子は息を切らしてやってくるとこう言ったという。「先生、ものすごい発見をしました!これはもしかすると世の中が変わるくらいの発見かもしれません。」
そして、教え子はその発見した数式を丁寧に説明しだした。
教師は愕然とした。それは高校で普通にあっさりと教わる公式だったからだ。教師は聞いた、高校の参考書とか他の数学書の類は読んだことあるか?と。
すると教え子はこう言った。「いえ先生!全て独学でやりました!実は今日まで30年以上、毎晩寝る前の1時間をこの問題の追究だけに当ててきたんです!先生、この発見はすごいことですよね?」
教師は教え子にこの「発見」した公式は昔の数学者が発見済みであること、そして現在では高校の教科書に丸暗記するだけのものとして普通に載っていることを静かに告げた。
この教え子は非常に意気消沈して、それ以後音信が途絶えたという。
以上の話は、実話かどうかも定かでないし、芸術の話ではないが、非常に示唆的だと思う。
数学の場合は実益が優先されるべき学問なので、上記の「数学公式の後発自力発見者」のような者が報われることは有り得ないが、芸術の場合は実益だけに終始 するべきではないことは自明である。実際には、制作意図も動機も曖昧かつ抽象的で全く実益にならないどころか、実害のあるものすら存在し、何故だか高評価されているものもある。(だからといって芸術の名の下にやりたい放題やっている類は、私には到底許せないが。)
本人が全く知らなくても、圧倒的多数の人たちが知っているものと同じものと認識されれば「盗作」とみなされても仕方ないのかもしれない。しかし、 完成に至る経緯も努力も充分に吟味されないで、実社会では芸術に疎い興味本位の一般人たちが、脚色され記号化されたマスコミ報道を鵜呑みにして、意図的に 盗作したケースと同等に「犯罪者」扱いすることが多いのは、非常に遺憾に思う。
本当に意図的に盗作した人と、そういう意図がなく「盗作者」扱いされている人の顔って、見れば一目瞭然だと思うんだけどなあ。
(ニュースの音声を消してみれば…キャプションも消せればいいのだけど…、みんな判るはずなんだけどなあ、如何に言葉というものに惑わされてるかってことが。)
これは芸術が大衆に迎合・翻弄しつくされた一つの証(成れの果て?)と言えるのではないか?
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例えば音楽の場合、基本的には1オクターブの中に12しか音がないし、人間の可聴範囲内で実用になる範囲はせいぜい8オクターブほどしかないので、有史以降、メロディーというものは先人によってほぼ完全に出し尽くされてしまっていると言っても過言ではない。なので、メロディに対してどのコード
(和音)を選び、どんなリズムを選び、どんな音色(楽器・声質)で演奏するかを選び、さらにどんな歌詞を乗せ、どんなミックスをするのかということになるので、極論すればコンビネーションのみにしかオリジナリティが存在しないのかもしれない(ただでさえ少ない選択肢なのに、特に日本〜アジアの商業音楽で
は、創作者たち自らが「使える」と思うメロディやフレーズ等の選択肢を、あまりにも無意識に狭く考えてしまっているので、結果的にほとんどどれも同じに聴こえてしまう。まあ最近は欧米もそうだが。)。かといって微分音音楽とか民族音楽とかにのみオリジナリティがあるということでもないと思うし(笑)。
もちろん、曲よりも滲み出る人格やみんなに響かせるだけの勢いや想いはさらに重要だけれども。
まだはっきりとわからないけど、個人的には、何か未だ気づいていないコペルニクス的転回の画期的で強烈な打開策があるような気はしている。
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今のように玉石混交の状況に於いて、「オリジナリティとは何か?」を充分に熟慮しないで、未来の芸術なんてものはあるだろうのか?
芸術性と大衆性、前衛性と普遍性のバランスが今、問われているのではないだろうか?
…こうやって晩秋の夜を更かすアホが一人、ここに(笑)。