今朝、またもやエホバの証人(ものみの塔)の年配の男女が玄関で呼び鈴をならした。私はアマゾンからDVDが届いたと思い、玄関のドアを勢いよく開けてしまった。迂闊だった。
話の切り出しはTV番組の話だった。昨日ビートたけしの番組(TVタックル?)で年金等について議論していたらしい。そこで鼻毛が見事に放射状に開花したおっさんはこう決め付けて言った。
「あなたのような若い人は皆ものすごく不安です。聖書《筆者注:エホバの証人の用いる聖書は通常の旧約・新約聖書とは全く違うもの》にこういう言葉があり
ます。『高貴なものや(中略)を信用してはいけない』 だから国も信頼してはいけないんです。創造主エホバだけを信じて正しく生きなければいけません。日本人はクリスマスや初詣や葬式でそれぞれ無節操に宗教を扱うのが外国から変だと言われているのは聞いたことがありますでしょう?ありますよね? 実は12月25日がキリストの誕生日だと言うのは間違いなんですよ。…(以下略)」
「人々の心を掴むため」と、日々時事問題に関するTV番組や新聞を食い入るようにスキャンする鼻毛のおっさんの様子が目に浮かぶ(笑)。そして得た「唯一絶対の正しい視点からの情報」を得意絶頂の面持ちで押し売りしてくる。
エホバの証人は「キリスト教原理主義」の一形態だと私は感じているが、この頑迷ぶりは共産党員や某日蓮系宗教教団を彷彿とさせるものがある。彼らはまさに文字の世界の囚人である。病的なまでに潔癖で、数学的帰納法の論理で、全てを正邪に分別しつくさないと気が済まないらしい。ただし、その正邪の判断から自分を中途半端に都合のいいように例外にするというのが暗黙のルールらしいが、これでは分裂の相しか生まない。
だから彼らはどこまで行っても「身内の裏切りの歴史」を目の当たりにする羽目になる。
鼻毛についても「厳格」で「潔癖」な彼らの聖書に何も書いてないわけないと思うんだけど(皮肉)。
迷える子羊はどちらかは明白である(笑)。「他人が色眼鏡をかけているように見える」という特殊な色眼鏡を着けていることをすっかり忘れてしまった子羊たち(笑)。
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ここで某所で最近記した見解を書いておく。
いろいろこの世界には裏とか表とかあると言えばあるかもしれないけど、真実を見極めようと、その「裏」に焦点を合わせ過ぎても、それを是認(具現化)するのと大して変わらないと思うので、無視こそはしないけど、頭の片隅に「こういう説もある」という程度に留めておく方が健全かなと感じます。
ただの悲観主義でも、無関心的楽観主義でもなく、それを双方経験しつくして超えたところの全受容的楽観主義(?)がいいのかなと感じています。これは全く私的な意見なので反論ある方も多いでしょうけど、私の主観(想念)通りに日々(私自身の)現実が変わっていくし、自分自身の現実の責任は自分で取るしかないので、現時点でベストと考えているこの観点については、誰がなんと言おうと断固私自身はこれを採用します。
…っていうのが、現時点での私の洞察です(笑)。
こういう意見もあると面白がってくだされば幸いです。
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この言葉を先の二人連れに捧げよう(笑)。今のままじゃ彼らが存命中に理解できるとは到底思えぬが、説教の答礼だ。お役目ごくろうさんなこって。
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帰納法だけで全ての物事を証明するのは愚の骨頂である。
(特に日蓮は弟子達に釈尊の再誕であると帰納的に思い込まれ、自分でも思い込んだ悲しい人物だ。)
例えば数学的帰納法を用いると「全人類はハゲである」ということが完全に理論的に証明されてしまうのだが(笑)、これは非常に示唆的である。
元「モーニング娘。」の安倍なつみちゃんの「盗作問題」が大々的に取り上げられている。
私は、彼女をかわいい女の子だとは思うが特別ファンではない。
「モーニング娘。関係者」がアーティストか?と問われれば、私は実はそれには否定的な見解を出す側の人間だ。彼女達はマルチタレントであって芸術性に秀でているとまでは言えないと思う。
その上で今回の「盗作」追及には疑問を呈したい。
日刊ゲンダイの記事によるとこう書いてある。(以下抜粋して転載)
盗作の仕方はロコツだ。「トマトはピーマンになれない トマトは茄子になんかなれっこない」は「トマトにねぇ肥料をやったってさメロンにはならねんだなあ」(相田みつを)。「今もあなたに届けたいコトがこんなにあるの。ウレシィ」は「ねぇ今もあなたに届けたい事がこんなにある事がうれしい」(aiko)。「ねじれてた気持ちと一緒に飾らない言葉で伝える」は「ねじれてた気持ちと一緒に(中略)飾らない言葉で伝える」(小室哲哉)とそのまんま。これじゃ、アホな女子高生のカンニングみたいだ。
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どっちが「アホ」かと言わせていただく。
今の世の中、いろんな情報が溢れかえっていて、それがたとえ著名人の言葉であっても、それをいちいち誰の言葉だと明確に憶えきれるものではない。記憶にあ る言葉の中から、自分の言いたいことを綴っていけば、既に在る誰かの言葉とそっくりなものになっても全然不思議でない。しかも「指摘」された表現は全然特別ではないごくありふれた言葉ばかりだ。「盗作された側」の人間がこんなありふれた言葉にオリジナリティを主張するとは到底思えない。こういうつまらんことを追究するのは、いつも外野の人間だけだ。
もし仮に相田みつをやaikoや小室哲哉の著作なりCDの歌詞カードなりを真横に置いて、それを見ながら書いたというのならまさしく盗作だが、彼女の記憶にあるものから彼女自身の言いたいことを表現する時に、それが誰か過去に読んで感銘を受けた言葉と近い表現になることなど、人間なら誰しも極めて自然にあることじゃないか! この低俗紙の記者は、自分達にはそれが絶対ないとでもいうのか!
この記者の文章を、誰かの文体や比喩に似ていると追究してやろうか? 記者たちはこういうことを欺瞞だと気付かないのか気付かないふりをしているのか、とにかくどちらが「アホ」かともう一度言わせていただく。
上記の書き方は「まさしく似ている」と思うように誘導されている。「出る杭を打つ」という日本人の持つ最悪の要素が最悪の表現で最悪の結果を生み出している。自分の中の嫉妬を他人に伝染させるな! 何が報道の自由だ! こんなものは非常に低レベルな公害でしかない。
彼女の所属事務所はなんで謝罪するんだ? ごく少数のクレーマーに迎合するメリットってなんだ? ひとりの人間の人生を預かっているんだろう? 一番味方になるべきなのに裏切ってどうする! 逆に提訴できるくらいだぜ?
紳助さんの時と同じく「とにかく謝っときゃいい」なんてダメなんだよ。今の時代は「悪いことをしたのに謝罪しない」も「悪いことしてないのに謝罪してしまう」も、どちらでも事が収まらないように変わってしまったんだ。
それはみんなが「それは真実じゃない」と深いところで直感的に気づくようになったからだ。
理屈じゃない。
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私は、この問題を書きたてている者たちは相田みつをの言葉を引用しているのに、彼の言葉も精神も全く微塵も理解していない「偽善者」だと断じさせていただく。この言葉の意味を深く咀嚼せい!
「だってにんげんだもの」
今日、12月5日未明から朝7時頃まで吹き荒れた暴風は瞬間最大風速40m以上に達していたという。道理で、今まで通過した台風以上に強力に感じたわけだ。屋根が吹き飛びそうな突風が続いて、気になって全然眠れやしなかった。
そういうわけで、私が母のおなかの中にいる頃から、実家で毎日(?)流れていた石原裕次郎の名曲「風速四十米」の歌詞をご紹介しよう。(←どういうわけだ?:笑)
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セリフ:「なんだいありゃ? 何? 風速四十メートル? はは。」
風が吹く 吹く やけに吹きゃがると
風に向かって 進みたくなるのさ
俺はゆくぜ 胸が鳴ってる
みんな飛んじゃえ 飛んじゃえ
俺は負けないぜ
セリフ:「おい。風速四十メートルがなんだってんだい。え? ふざけんじゃねえよ。」
風が吹く 吹く やけに吹きゃがると
街に飛び出し 唄いたくなるのさ
俺は唄う 俺が唸ると
風も唸るよ 唄うよ
俺に負けずによ
風が吹く 吹く やけに吹きゃがると
風と一緒に 飛んでゆきたいのさ
俺は雲さ 地獄の果てへ
ぶっちぎれてく ちぎれてく
それがさだめだよ
セリフ:「馬鹿野郎。風速四十メートルがなんだい。はははは。」
*
実に気持ちのいい歌で、私は大好きなのである(笑)。
こんなふうにスカッと生きたいものだ(笑)。
ははは。
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P.S.
石原裕次郎の歌で私が一番好きなのはデビュー曲の「狂った果実」だ。
南国情緒溢れるアレンジが非常に気持ちいい。今日のような「狂った気象」の暑い日にはとてもよく似合う(笑)。
なんと作詞だけでなく作曲も兄の慎太郎さんなのである。
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夏の陽を浴びて 潮風に揺れる花々よ 草蔭に結び熟れてゆく赤い実よ 夢は遠く白い帆に乗せて 消えてゆく消えてゆく 水のかなたに
人は誹るとも 海の香にむせぶこの想い 今日の日もまた 帰り来ぬ夏の夢 熱きこころ燃え上がる胸に 狂いつゝ熟れてゆく 太陽の実よ
潮の香も匂う 岩かげに交すくち吻も その束の間に 消えゆくと知りながら せめて今宵偽りの恋に 燃え上がり散ってゆく 赤い花の実
なんて変な気候なんだ?
つい2日前まで、真冬だったのに、今日は夏。おまけに「台風」以上の暴風。
明日からまた冬に逆戻り。
最近、「観測史上初」ってのが多いねえ。
暖かいのも好きなので、個人的には楽しい(?)が、ちょっと心配。
こういうときに地震とかが誘発されやすい気がするのです。
数日前の夜中のカラスの異常な鳴き方も気になる。
しかし…、関東が一日沖縄になったような感じ。
海に行きたくなるよ。
やっとというか、ようやくというか、5日ほど前にデジカメを買い換えた。
某アクシデント(笑)により、ダメージを受けた旧デジカメは、よく働いてくれたものの、完全修理には内部部品全交換ということで、数万円かかるという話だった。2年10ヶ月前、一緒にマイアミに行った相棒で、旧式とはいえ愛着もあったが、この際買い換えることにした。(前のものが壊れてから今回買うまでに5ヶ月かかってしまったが:笑)
今回買ったのは、Canon IXY Digital L。最近後継機で画素数や機能の向上したL2が出たが、あえて型落ちのこの機種にしかないパールホワイトの色が欲しかったし、光学ズームもない単焦点レンズだが非常にコンパクトで、何より自分がCanonのデジカメ開発の部署に勤務していた頃に扱った機種の中で、一番気に入った機種だった。個人的には IXY Lという名前よりも開発コードネームの方がしっくりくる(笑)。
自分が勤めていたからというわけではなく、冷静に評価しても、Canonの画質はいい。他メーカー製のように暗かったり、妙に青白かったり、色が薄かったりすることなく、フォトショップで補正する必要はほとんどなしに、デジカメ写真サンプルそのまんまの色鮮やかな画像が撮れる。
職務上、屋外・屋内問わず全く同一条件
(同じ場所)で各メーカーの同等機種をずらーっと並べて、せーので撮って評価するようなことをしていたが、本来は撮った写真が同じ色にならないといけないはずなのにメーカー毎、機種毎に全然違うのだ。
Canonの社内基準からすると他社製で合格するものは殆んどない有様であった。
みんな、そんな比較をする経験がないから(あるわけない:笑)、店頭の写真サンプルに騙されて他メーカーのものでも買ってしまうみたいだが、同時に撮っても冗談じゃなく天気が違うのかというくらい明らかに色が違う。
だから、今迄私が某他社製のデジカメで撮っていた写真は全てフォトショップで加工して、見られるものにしてきた。これからはその必要は殆んど無いわけだ。
そんなわけで今日は、夕方三浦海岸に行って写真を撮ってきた。
そのうちの一枚を上に。これ、サイズ以外何も変えてない。色を全くいじってないのだ。これと同じくらいの鮮やかな色が出せる他社製品はいくつあるかな?
新潟の地震。
神戸の震災を思い出す。何かできないかと思う。
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イラクで日本人拉致。
今度は相手が悪すぎる。しかも「自分探し」で渡航するなんて…。
あとでぶん殴ってやるから、必ず生きて帰って来い。
日本政府に対して、苦言を申し上げる。
中国・韓国・北朝鮮政府の日本に対する終わることの無い、且つエスカレートしている「戦争被害賠償」は、日本政府の事勿れ主義の産物である。
アジア諸国での「従軍慰安婦への賠償」は、日本が「従軍慰安婦」の存在を自ら捏造したに等しい蛮行である。
これはまるで「便乗詐欺師」を育成したようなものだ。
「金持ち」に車をぶつけられた「被害者」が、実際の被害よりもひどい症状を訴え、医師に診断書を書いてもらい、搾り取れるだけ搾り取ろうとする、あの「交通事故便乗詐欺師」と同じである。「金持ち」が怪我をさせたことは否めない。紛れも無い事実だ。だが「被害者」はいつまでも「痛い痛い」と言い続けていれば、医師は診断書を書いてくれる。こんなおいしい話は無い。彼らの良心の呵責が無い限りいつまでも続く。
そうなるともはや被害者ではない。彼らは非常に心の貧しい加害者に成り下がる。
戦中の「従軍慰安婦」という制度は事実そのものがないのだ。普通の売春婦なのである。
日本兵専門に商売してた娼婦や、売春宿で専ら日本兵相手に儲ける事を考えた日本の民間人はたくさんいただろう。
軍隊が移動する度に、ぴったりと付いていって商売していたのは確かだ。
だが、これが日本の公式な制度だったというのは見当違いだ。
虚偽が事実とされてしまったのは、社会党委員長が首相だったときだ。左翼政党はとにかくあの時代を忌み嫌い、自らの父・祖父の世代を「犯罪人」にすることで、「贖罪し戦争を知らない私達はすばらしい」と免罪符を買ったような気分になりたい人たちの集団だった。こちらの方が余程責任放棄と言える所業なのだが、とにかく一国の総理が「公式声明」を出してしまった以上、これは国際通念上「事実」だとされてしまう。
よく考えて欲しい。「従軍慰安婦」と認定された元娼婦が貰える日本政府の補償金は、その国では一生遊んで暮らせる金額なのだ。かくして「自称従軍慰安婦」 が多く現れた。恨むべきは売春宿の身請人や、売人に自分を売った親そのものだったとしても、その恨みを日本に転嫁する(ふりをする)ことで信じられないほどの大金がもらえるのだ。
戦時の事実にどんどん尾ひれをつけられ、都合の悪いことは全て日本人のせいにして、被害人数の桁数がいつの間にか増え、もはや虚偽が99%になっても、それを日本政府が言われるままに事勿れ的に対処して、事実の検証も無いまま首相が一方的に「認めて」しまい、全部100%を「事実」と国際的に表明してしまったこの責任。どう取るつもりだ?
「ちゃんと戦争責任を取って貰って、早く戦争の記憶を忘れたい。それで健全な関係になる」と言い続けているその国の政府こそが、実は戦争を最も率先して遂行中である。非常に低級な心理戦争として。愚かしくも哀れである。
かくも当該国民の民度を低くした責任は日本政府が元凶。
それを利用した各国政府は副次的原因。
ただ興味深いのは、明らかに中華思想の影響下にある中国・韓国・北朝鮮(台湾の大陸出身者も)は国単位で強硬に謝罪を求めているが、中華思想の影響下に無い東南アジア各国では、訴える者が出たときに、感情論でなくちゃんと審査し、それは個人単位の問題で、内容によっては被害妄想だと判断されることだ。実際マハティールやスカルノは日本の歴代首相の戦争謝罪の度に呆れ返り、失望したという。「何故そんなに自虐的になのか?国の代表がそれでどうする?私の知っている日本人はもっと尊敬できる人たちだった」と説教された首相さえいた。
フィリピンで従軍慰安婦だと名乗り出た女性たちは「金で誠実を売った」卑しい人だと世間から疎まれたという。
韓国・中国では英雄扱いだったが。
何が真実なのかをよく見極めずに、「反省」するのは全く無意味でしかない。
国保・健保共に、ある程度の期間、定期健診と人間ドックを除き、医療機関にかからなかった程度にしたがって、5年おきくらいに高額キャッシュバックしたらどうだろう。
もちろん定期健診と人間ドックは全国民義務付けで無料受診させる。
トータルで見れば、国の医療費の負担は減るはず。
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国の医療費の負担が増える仕組みは以下の通り。
1. もらえるもんはもらわんと損とばかりにたいした病状でもないのに病院に行く人が少なくない。あまりにも気軽に行く人が増えすぎると、本当に治療が必要な人に適切な処置ができにくくなる怖れがある。
2. そういう気軽に来た人たちであっても、「手ぶら」で帰すわけにはいかず、且つ(医者にとって)金になる絶好の機会を逃すわけにはいかない。よって何らかの病名を付けられ、過度の薬を処方される。(ここで誤診が発生することもある)
3. その病名を聞いたことにより、幾ばくかの不安がもたげ、潜在的に病気を抱えることになる。(ひどい場合は精神的に参ってしまう)
4. その同じところで待ち合う他の患者と知り合い、友人に会う口実になり、治療を口実にますます足繁く病院に向かうこととなる。
最初の「もらえるもんはもらわんと」というのが全ての端緒である。現制度では、少しでも取り返すためには医療機関にかかるしかない。
だから、支払ったお金を取り返すには本人が体を気遣い、健康で居続けなければいけないように制度を抜本的に変えればいいのである(笑)。
その方が結果的に、高度医療が必要な人に有効に保険料が使えるのでは?
これは真面目な提案ですよ。
日本郵政公社の新サービス、EXPACK500というのがある。
詰められるものなら、どんなものをどれだけ詰めても重さ関係なく500円だそうだ。直接ポストに入れればいいそうだ。
とは言っても、そんなに大きくない。30kgまでOKだというが、このサイズに30kg詰めるには、ウランでも詰めない限り無理だな(笑)。まさかこれも送れるってか? 郵政公社もしっかり予防線張っとかないと、こういう厄介なものをポストに放り込まれて、知らない職員が被爆や感染する事故が起こらないとも限らないぜ。
***
最近、起きがけによくわからん夢を見た。ふと気がつくと日本人だらけのオーケストラでティンパニを叩いていたが、演奏の途中で止められて、外国人の指揮者が俺に向かって「ニュアンスが違うんだよ、それじゃ」って怒鳴っている。ん?知ってる顔だ。確か彼のピアノを聴いたことがあったはず。
その翌朝、電車の中で広告を見る。N響演奏会。新音楽監督にアシュケナージ就任だって? ああ、そういうことか!
しかし何で俺がオケにいて怒鳴られる?(笑)
***
今日は防災の日。大正時代の関東大震災の日にちなんでのことだが、幼少時に叔母が女学生時代に大阪にいながら、正午直前立っていられなかったくらい激しく揺れたと話していたのを懐かしく思い出す。備えあれば憂いなしだが、あまりヒステリックに憂うと現実化してしまうからね(笑)。
前略
大東亜戦争終結までに日本に協力した者を「犯罪人」として追及する行為は、やがて閣下の立場を失うであろうことが容易に予測されるのですが、この異常なまでの感情的民族主義というのはどなたの創造なのでしょうか?
あなたは5年後には英雄かもしれませんが、20年後には筆舌に尽くしがたいほどの国賊とされるでしょう。
韓国・朝鮮人で、近親に「日本に協力しなかった者」がいない者など、この世に存在しないと思うのですが。いたとしたらそれこそ創作です。まるで中世ヨーロッパの魔女狩り。実父が日本の憲兵だったことが表沙汰になった貴殿の出身政党の党首が、それだけを理由に「謝罪」し辞任されましたが、「歴史を正しく見なければいけない」という体裁を保つために誰かに言わされているが如きセリフは、単なる自己否定(自虐)と責任転嫁の言い訳に成り下がっているようにしか見えないのですが…。貴国よりも中華思想では「下賤」の国、我が日本でも旧法上全く問題なかった年金任意加入者が、「現行法の精神に基づいて正しく判断」され、 犯罪者扱いされたという似た現象がありましたが、「現行法の精神に基づいて正しく判断しなければいけない」という一時的で感情的な世論は、近々、我等「下賤」の国民の政治に対する自己責任の放棄と責任転嫁とであったと総括されることでしょう。
喩えれば、自分の家よりも身分が低く貧しくて卑しいはずの近所の一家に、生活の援助までしてもらったという「忌まわしい」過去を忘れたいという救い難いプライド。しかも、あのとき親身になってくれた行為が妙に腹立たしい。「いや絶対、打算があったに違いない。何故なら奴等は我々よりも身分が低い下賤の奴等だからだ。」そういう風に思いたいのは何でありましょう? 往時の困窮は貴民族による国家運営に原因があっても、あの下賤の日本人こそが悪いと思いたいのであ りましょう。「奴等なしでも自分たちだけで充分独立再建できたんだ。下賤のくせに余計な真似しやがって」というふうに甚く「民族の自尊心」が傷つけられた ことでありましょう。
しかし、そういう「恨」の文化は、世界的に受け容れられるものではありません。この「伝統」にこだわるのは貴国に良い結果など決してもたらさないと思います。
隣国、中華人民共和国の高句麗中国領土説は最近新たに「捏造」されたもので、あなたたちが非常に不快に感じていますが、あなたたちが常々日本に対してやっ ていることも同じことです。しかし私たちはそんな低レベルの争いの不毛さを知っています。でもその「すました態度」「低姿勢の態度」すら気に食わないというのは、もはや完全にあなた方の問題でしかありません。
日本人にも大勢いますが、病院に来る年寄りに似た部分もあります。本来健康な方が良いのにもかかわらず、待合室で患者同士が「わたしゃ、こんなにひどい症状で困ってんだ。」「いやいや、俺はそんなもんじゃないよ。片肺がないんだよ。」「それくらい大丈夫じゃないですか。私なんかねもう20年透析受けてるんですよ。」などと病気自慢してしまう心理状態。こうやって自分の症状説明が実際より次第にエスカレートしていくうちに、本当にそれが事実になっていく 様…。
自己否定に明け暮れる人でいるというのは、民族に関係なく嫌われますよ。
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貴国民の中に内在する、もっと前向きな部分のみを発揮されては如何でしょうか?
それは非常に敬服に値するし、そういう方が少なくないのは知っています。
まずは人間として尊敬できる態度の方が大事ではないでしょうか。
そういう貴国民と親友になりたいと切に願います。
草々