昨日、電車の中で出くわした光景。
若いお母さんと3〜4歳くらいの男の子の会話。
「あっ、まだ降りちゃダメよ」
「だって、はやくおりたいよ〜」
「でもここは違う駅なのよ。」
「どうして〜?おなかすいたよ〜」
次の駅に着く
「だからまだダメよ。次の駅だからもうちょっと我慢してね。」
「いやだよ〜。おなかすいたよ〜。」
「もうすぐだからね。」
「はやくおやつがたべたいよ〜。」
「おやつじゃないのよ。お昼ごはんよ。」
「おいしいのたべたいよ〜。ここでおりようよ〜。」
「ここで降りたら、おうちが遠くなるよ。」
「どうしてなの?ママのいじわるぅ。」
「どうしてママがいじわるになるの?(笑)」
「だって〜、だってはやくかえりたいのに、ママがだめだっていうんだもん。」
「ふふふ(笑)」
さらに次の駅。一緒に降りる。
「おやつ、おやつ♪」
「おやつじゃなくてお昼ごはんでしょ?(笑)」
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おかあさんは終始やさしく接していた。
見ていてとても微笑ましかった。
暖かい気持ちを戴いた。
ありがとう。
・石原都知事は、ちゃんと口の位置から声が聞こえる。
・小泉総理は、口からわずか5cm離れた所から声が聞こえる。
・菅直人民主党党首は、彼の右斜め70cm上方から声が聞こえる。
・小沢旧自由党党首が話そうとすると、必ず彼とは別人の口から彼の声が聞こえてくる。
・神崎公明党党首は、口の下35cm下から声が聞こえるが、本人の想いではなく、耳のイヤホンから聞こえるある偉〜い御方の思惑通りに言わされているだけ。
・土井社民党党首は、彼女の左斜め後方2mの位置から声が聞こえる。
・志位共産党委員長は、正面から見ると彼が話しているように見えるが、彼は口パクで何も話していない。実は彼の真後ろに巨大な拡声器があって、それがオートリバースで擦り切れそうな古いテープを流している。
・保守新党の党首の方、声が小さすぎて全然聞こえません。
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各党を代表する(+1)政治家達に直感的に感じた「モノ」というか「オーラ(?)」というかを無理やり言語化してみた(笑)。
口の位置と声が聞こえる場所が遠ければ遠いほど、その人自身の生身の言葉で話していない感じがするという意味で書いた。
菅直人氏と小泉純一郎氏、石原慎太郎氏とを比較すると、菅氏がいくら理路整然としたことを言っていようとも、命懸けの覚悟を伴わぬ生身の言葉でない(そう
いう感じがどうしてもしない)以上、小泉氏の方が曖昧模糊とはいえ、よほど信用できる。石原氏が失言を言ってもなお信用に足る。それは小泉・石原両氏自身
の生身の気持ち、殆んどそのままだからだ。失言のリスクを遥かに凌駕した覚悟が感じられるのだ。
それに小泉氏は悪口らしいことを殆んど口にしない。
石原氏は「公益よりも私益ばかりを優先する者」のみの悪口しか言わない。
一人の人間として、友人(師・先輩)として付き合いたい人は上記の政治家達の内の誰か、一番面白そうなひとは誰かという観点でみるとどうですか、みなさん。
そんなふうに政治家を見て、次の投票をしてみてもいいのではないかと思います。
P.S. 民主党党首よりも鳥肌実氏の方が、よほど自身の言葉で語って居ると私は思えてならないのだが(爆笑)。
今朝、蒲田の駅に降り立って、なんとなく感じた。
「空気が違う」
今月1日から、首都圏外からの排ガス浄化装置の付いてないディーゼル車両は一切入って来られなくなった。首都圏の車でも、購入証明書を持っている特例車両 (メーカーの生産が追い付かず、浄化装置の装着が間に合わなかったもの:3ヶ月の猶予)を除いて、全て装置が付いている(はず)という状態になった。
いや、私の気のせいかもしれん。かもしれんが、空気の「味」が違うと感じた。
ド田舎生まれの人間ゆえ、空気の「味」にはちとうるさい。
まさかとは思ったが、こんなに即効性があるのか?
東京都と研究機関との合同調査によると、東京都内で排出されていたディーゼルの粉塵は、たった一日で500ccのペットボトル十二万本(!)という想像を 絶する量なのだ。首都圏全体だとさらに何倍になるのか! 一時期、石原都知事がよく持ち歩いていたペットボトルに入っていた粉塵は一台のディーゼルトラッ クがたった1km走っただけで出したものなのだ。それだけで底から1cm近くも積もっていたのだ。
今月以降、首都圏では粉塵の量は少なくとも5分の1以下にはなっているはず。
非常に清々しい。これで来春以降の花粉症もかなり緩和されるに違いない。
石原さん、次は2サイクルエンジンの規制、そして航空燃料の規制へと進めて、ハイブリッドもしくは電気自動車の普及へと突き進んで欲しい。
日本を含む先進諸国を筆頭に、もはや地球上どこでも人間が住まう所に於いて、電気は欠かせないものとなった。石器時代-青銅器時代-鉄器時代と移り変わってきたが、現代文明はさしずめ電器時代(笑)と呼んだ方がいいのかもしれない。
ただ、豊かに暮らそうとすればするほど、人間一人あたりに必要とされるエネルギー量は増えていく。発電のシステムをどう効率化するかが人類の課題となって久しい。
今、主に用いられている発電方法は3つある。水力・火力・原子力だ。だがどれを用いても環境に及ぼす影響は甚大だ。ダムを作ることで生態系の激変が起こ り、災害が起こりやすくなる。化石燃料で二酸化炭素、メタンガスという温室効果ガスは大気中に放出される。高レベル放射性廃棄物は、安全な貯蔵方法は実際 にはまだ確立されておらず、地中に漏れ出したらただでは済まない。
特に今すぐ何とか全廃して欲しいのが、原子力。少なくとも廃止する方向に一刻も早く転換して欲しい。
原子力発電は、高度成長期などに盛んに「夢の技術」などと言われたが、
ちょっとみんなに考えて欲しい。私は原子力発電はとても「原子の力」で発電しているとは誇らしげに言えないほどお粗末な仕組みだと訴えたい。こんな時代遅れな仕組み、21世紀にあっていいのかとも思う(本気)。
現在の原子炉の仕組みは以下のとおり。
「現代科学の粋」を集め、アインシュタインの相対性理論の賜物である原爆を、爆発しないようにそろ〜っと厳重に注意して、これまた「最先端機器」で「とろ 火」で燃えるように調節し、その「とろ火」の熱で湯を沸かし、そのシューシューいってる湯気でモーターの羽根をく〜るくる回して、やっとこさ電気をこしら えているのである(苦笑)。
熱源以外は火力発電と同じ。発熱に必要な燃料の容積が違うだけなのだ(ウラン1g=石炭3000t)。「最先端科学」の使い方が著しく偏っていて、しかも 不健全な使われ方だから、全然未来的でも素晴らしくもない。しかも燃えカスが燃やす前よりもどうしようもない厄介な代物なのだ。すでに大気中に原爆何百個 分の放射性物質が撒き散らされただろうか。固体として残っているゴミはその数万倍〜数億倍あるのだ。危なくて非常にしょーもない「核分裂湯沸かし器」。
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以下の発電方式にもっと本気で取り組んで欲しい。
太陽光発電、燃料電池、風力発電、潮力発電、地熱発電、バクテリア発電、etc...
特にメタノール改質型燃料電池はすごい。何がすごいって?
メタノールをフィルターに通すだけで、直接電子だけを取り出すのである。
日頃呼んでいる「電気」とは電子のことに他ならない。
上述の「原子力」湯沸かし器と比べてどうよ。どっちが原子力発電という言葉のイメージに近い?
熱に変換する過程が入ると、エネルギー効率は極端に落ちる。
物質そのものが持っているエネルギーを100とすると、
驚く勿れ、火力発電は4、原子力発電は8しか取り出せないという。(残りは全て空気中に漏れて…)
しかし、太陽光発電は10数%、燃料電池は数十%、バクテリア電池に至っては80%超のものもあるのだ。そしてかなりのものが実用化段階にきている。
あとは政治の力で、推進・研究・振興・普及策をいくらでも執れるはずだ。
こういうことを強力なリーダーシップでやって欲しいのですよ。>小泉さん&石原さん
大幅に後ろにずれ込んだ夏が終わった。結果的には、旧暦ならば閏月で調整されるべき長梅雨だったのだろう。
コメの不作を見込んで、偽ブランド米詐欺や新米の盗難が起こっている。昨年の米で何が不足なんだ? 一年くらい新米が食えなくても死ぬわけでなし(皮 肉)。犯罪者が悪いのは言うまでもないが、こういうことが起こるのは、意味のないブランド志向や新米崇拝の結果から来ているのだ。
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某宗教団体系雑誌の中吊広告に素朴な疑問。「デマ」という言葉がいったいいくつ書かれているのだ? 自分たちは正しいんだと主張したいのかもしれないけ ど、一生懸命そうすればするほど一般の人はしらけてしまうのだけど(笑)。新潮の書き方がどうしようもなくひどいのはわかる。だけど、裁判官や弁護士はそ の宗教団体の(数十年前からの)戦略からたくさん輩出されているのだ。それに鉄の結束を誇る会員たちを敵に回すのを嫌って、「非会員」「非会友」の裁判 官、弁護士がこの手の裁判を引き受けたがらないと思うのだが。(率先してやりたがる人がちゃんといるんだから)
「正義」をふりかざせば何もかもが正当化されるわけではない。あなたたちにはおおらかさがないよ。反対意見を封殺せずにはおれないんだから。デマなんてあっという間に忘れ去られていくのに、その短い時間さえ許せないのかい? 逆に勘繰ってしまうよ、図星だからなのかって。
日本を裏表から思い通りに動かすことにばかり力を注ぐより、原点に立ち返っていただきたいね、この教団の上層部の人たちは。末端の会員たちは純朴ないい人ばかりなのにね。(いや純朴だからこそ上層部の舵取り次第なのが心配)
あ〜あ、書いちゃった(笑)。現代日本のタブーのひとつを。
捨て置けない人は反論を熱く激しく書いてくれてもいいけど、書けば書くほど一般の人たちは冷めていくばかりだからさ(笑)。呵呵と笑い飛ばす余裕が欲しいね。
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天気予報の精度が半年近く前から著しく落ちている。ひまわりがついに言うことを利かなくなって、舶来物のお下がりを譲り受けてからそうなった。
おそらく、翻訳ミスばかりなのだろう(笑)。
(11月9日後日談)衛星のデータがどう送信されているのか知ってびっくり。
舶来物の衛星ゴーズのデータは、直接気象庁に届くのではなく、なんと機能不全でお役御免になったはずのひまわり経由(!)で、やっとデータが届くのだそうな。なるほど「翻訳ミス」頻発のはずだ。
で、ひまわりの後継が打ち上げられない理由が、その後継機を作ってたアメリカの会社が倒産し、日本政府の支払った数百億円を返す返さないで、訴訟になって
いるというのだ。そのさらに後継の機種が打ち上げられるまでゴーズが壊れないように祈るのみだという。…日本らしい間抜けな展開だねえ(涙)。
最近、携帯電話を受けたときにこう訊かれることが多くなった。
「もしもし、○○様の携帯電話でしょうか?」
「もしもし、この番号は○○様の携帯電話でよかったでしょうか?」
何を確認したいかは当然わかる。が、とても釈然としない。
いつか、「私は携帯電話ではありません」「番号を確かめてどうする気だ?」といって切ってやろうと思うのだが(笑)。
どうもこれは、企業の接客用のマニュアルにそう書いてあるか、この言い回しが「かっこいい」と普及してしまったかのいずれかであろう。
はっきり言わせてもらう。これは日本語会話としては相当おかしい。
電話は、以前家に一台しかない時代がかなり長かった。それ故、家族の誰が出るかわからないため、「もしもし、○○さんのお宅でしょうか?」と訊くのが慣習 だった。でも今携帯電話は一人一台で占有するのが普通である。先の言い回しを今風に言い換えたつもりで「○○様の携帯電話でしょうか?」としていると容易 に推察できる。しかし、誰が出るか判らぬ携帯電話などあるわけもなかろうに(笑)。素直に「もしもし、○○様でしょうか?」でいいのだ。
しかし、意味も考えずにこの言い回しを使い続ける営業氏が多いのは、この言い方がかっこいいと思っているからだろう(笑)。コンビニのレジなんかでどこか の誰かが使い始め、何故か爆発的に普及した「10000円からお預かりします」と同じパターンだ。これもおかしな日本語だが、この言い回しがかっこいいとでも思わない限り、こんなに普及することは有り得ない。すっかり旧来の言い方を完全に駆逐してしまった感がある。今度「10000円からいくらまで預かるんだ?」と聞いてやろうか?(笑)。
これもある意味、ニュアンスより語呂(言葉そのもの)を優先してしまう現代日本人の象徴的現象と言えよう。
今朝、通勤途中(京急蒲田〜JR蒲田:徒歩区間)のUFJ銀行のATMの前に大きな黒猫が座っていた。人が近づいても物怖じしないで、堂々としていた。ジブリのアニメに出てきそうな猫だった。目と目を合わせた途端、退屈そうに大あくびされた(笑)。
いつもこの区間で毎朝目にする印象深い人々がいる。杖を60RPM(即ち毎秒1回)でつきながら秒速10cmで進む老人。日焼けサロンに足繁く通っている
としか思えない焼け方をして誇らしげに歩いてくるおばはん(異様にテカテカしてるし、健康的を遥かに通り越して、もはや…怖い)。夏目雅子似のお姉さん。
先日書いた中国女性の集団。お嬢様育ちっぽい妙齢の女性(結構綺麗)。顔をはみ出るくらい大きなティアドロップのメガネをかけたカマキリのような風貌の
男。水商売やってそうな眉毛が濃い50過ぎくらいのポマードべっとりリーゼントで決めて、尾崎紀世彦のような服を着ているおっさん(襟を立てながらも会社
へ通勤途中らしい)。
この素晴らしい世界の芸術的なまでの多様性に感謝(笑)。なにしろ興味深い。
帰ってきて、うちの近くで生まれて間もないような黒猫が一匹。私が近づいてもちょこんと座っていた。目と目を合わせた途端、なにやらうなづいた。あれ? 見透かされたかな(笑)。
今日は、横浜に出かけた。
その帰りの終電の中、金沢文庫から二人のおじさんが乗ってきて、私の前に立った。とても日に焼けていて、自然な笑顔がどことなくチャーミングな二人だった。いやあ、今時こんないい年の取り方をする日本人も珍しいよなあと思った瞬間、二人はいやに楽しそうに話し始めた。
ああなるほど。私は即座に納得した。彼らの話しているのはポルトガル語。日系ブラジル人だったのである。
(ポルトガル語とスペイン語はそっくりだが、スペイン語は語感が固く、ポルトガル語は流麗。)
いつから我々日本人は、普段から苦い顔をするようになったのだろうか。
20年前は、道を歩いてる人も、電車に乗っている人も、普通に笑顔でにこにこしてたのに。
5年前に親しくなった二人の友人を思い出す。日系ペルー人3世のヤステルとエドゥワルドだ。ヤステルは母国語のスペイン語と片言の日本語、エディはスペイ ン語と日常会話レベルの英語と片言の日本語、私は日本語と日常会話レベルの英語がそれぞれ話せるという状態だったが、すごく親しくなった。どうしても通じ ないときには、英語の単語で同義語をいくつか、スペイン語風に発音すると大概意味が通じた。意思の疎通が完全でなくともなんてことなかった。女性の話、政 治の話、経済の話、歴史の話、ペルーの日系人社会の様子など話して、とても楽しかった。
彼らも笑顔が素敵だった。ペルーでは結構苦労していたようだけど(今の日本人なら凹んでノイローゼになるような理不尽で不条理な苦労はざら)、それでもす ごく明るかった。彼らと交流して思ったことは、日本人って、昔はこんなにおおらかで優しかったんだろうなあってことだった。事実、家族のありかたといい、 道徳的・倫理的ふるまいといい、他人とのかかわり方といい、気骨のある日本人のイメージ、武士道を感じることもままあった。私は年下の二人に尊敬の念を禁 じえなかった。
二人とも国に帰ってしまって、今は連絡も取れなくなっているけど、生涯の友だと断言できる。また会えると信じてる。(探す手がかりは何とか残ってる)
私は自分が傲慢になっていると気付くとき、いつも彼らの謙虚さ、健気さを思い出しては同じ「日本人」として恥ずかしく感じる。彼らの方がよほど日本に住む我々よりも日本人らしい。日本の良い伝統を受け継いでいると思う。
明るく笑顔で生きたいものだ。
ふと、思い出してしまったなあ。
どうしてるかな、今頃。
昨日紹介した、「ひとを<嫌う>ということ」について、
ちょっと補足。
私はこの本をとても興味深く読んだ。自分の内面を見つめるのを格段に容易にしてくれたという意味では「大好きな」本である。文章そのものの感じとか読後感とかは実を言うとかなり嫌いなのだが(笑)、それを含めても余りある恩恵にあずかることが出来る。
人間誰しも、嫌いと言うことを「なかったことにしよう」とするその欺瞞性が矛盾を生むのだ。普段から自分が誰かを平気で嫌うくせに、誰かから一人にでも自 分が嫌われていることが発覚したら狂わんばかりに悶絶する。これは矛盾以外の何者でもない。だからそうならないように「全ての人に嫌われないように」率先 して人を無理に好きになろうとばかり努力する。世間の風潮が「好きになること」「好かれること」という人間の半面だけをクローズアップし、「人間好かれな ければ価値なし」とばかりに常にプレッシャーを与えるような話題ばかりなのは、もはや社会全体が精神疾患に罹っているではないのか?
この本は、とかく病的なまでにタブー視される「物事や人を嫌うこと」について、罪悪感や拒否感を感じずに、非常に楽に直視できるようになれる大パラダイムシフトを与えてくれる。現代に生きる全ての者への啓示の書と言えるか。
最後までこの本が好きになれなくてもいい。でも誰もが読まないでいたことに深く後悔するだろう。この世の中にある書物の中で何よりも優先して読むべし。
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京浜急行の金沢八景と金沢文庫の間(文庫より)で横浜市立大学の隣りに、東急車輛という鉄道車両の製造会社の工場がある。その一番外側の(京急沿線沿い) のヤードにいつも完成したばかりの出荷待ち車両がある。線路幅に関係なく(日本の鉄道は主に2つの規格がある)いろんな鉄道会社の車両があるのだ。毎朝、 通勤途中目にする。いつだったか九州新幹線と思われるものを見たこともあった。
今あるのは、さわやかなラベンダー色の電車。どこの会社のものかよくわからなかったが、「M」の文字がデザインされているのを見た。このマーク、いつかど こか忘れたがみたことあるような気がするけど…。思い出そうとしていて、今日の帰宅時、駅のポスターでこのマークを発見。全く新しい鉄道会社の全く新しい 路線のマークだった。
そう、あのラベンダー色の電車は、来年2月に開業する(横浜の)みなとみらい線の車両だったのだ。
東横線と繋がって渋谷が近くなる。開業が楽しみだ。
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帰宅後、コンビニへ買い物に行こうと外に出た。薄暗い夜道を向こうから、70過ぎくらいだろうか、初老の紳士がポロシャツをズボンの中に入れて歩いてくる。
「旦那さん」
私は紳士になんとも新鮮な言葉で呼び止められた。なんだろうと思っていると、彼はこう言った。
「あの火星を見て御覧なさい」
そう言って、オペラグラスを手渡された。望遠鏡じゃないのであんまり大きく見えないのだが、それを覗いていると彼は自慢げに言った。
「星が瞬いてみえるでしょ?」
私はただ予想外の展開に驚いて声も出なかったのだが、ありがとうと礼だけ言って、オペラグラスを返した。紳士は何事もなかったかのように、するするっと向こうへ行ってしまった。
いやあ、一期一会ってのもなかなか人生を豊かにしてくれるね。
いつの間にか私も、「旦那さん」と呼ばれるくらい齢を重ねたんだなあ…。
今朝、通勤の電車で隣に立っていたおじさんが本を読んでいた。ちらと横目で5ページほど覗き読む。なんだこの本は! 文章の端々に名著の匂いプンプン。題名と作者がなんとしても知りたかったので、不自然にならない程度に姿勢を変えながら、なんとか判らぬかとしばし奮闘。というのもこのおじさんはカバーを全 部はずしていて、しかも本の背表紙にしか文字が書いてないからだ。おじさんの本を持つ指の間から、いくつかの文字を確認。2回ほど持ち直してくれたために 1字余分に見えたのだったが…。
ひとを<嫌△△と△△△と 中島△△
これが限界(笑)。出社後さっそくインターネットで検索…の前に読めなかった文字を推理(笑)。名前は推理不能だが、タイトルは可能だろう。
「<」があるということは必ず「>」がどこかに入るはず。すぐに思いついたのが、「ひとを<嫌い>ということ」「ひとを<嫌う>ということ」。
で早速検索したら、後者でビンゴ、著者は中島義道という学者さんだった。
帰りにさっそくげと!(←ぱねちゃんのまね)
しかもラッキーなことに文庫本として再刊したばかりらしく、税込500円と安価だった。(角川文庫)
帰りの電車の1時間余の車中で4分の1読破! めっさおもろい。
これはものすごい本だよ。またお勧めの書が1冊増えた。
私が「お勧め」という本は実はすごく少なくて、なかでも「無条件にお勧めの本」は10冊もないのだが、この本はそれに値する質である。この数日、奇跡的に
めぐり会ってるだけなのだ。この著者の本は賛否両論が激しいのだが、この「ひとを<嫌う>ということ」については絶賛しかされていない。あっ、インター
ネットでの調査結果ね(笑)。いや実際素晴らしい。
今なら新刊コーナーにあるから、私に縁がある人は是非読んで欲しい。
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毎朝通勤のため、京急蒲田の駅からJR(東急)蒲田駅まで歩くのだが(800m離れている)、いつも10人から15人くらいの中国人女性の集団とすれ違 う。彼女たちは、みんなスレンダーでみんなストレートの黒髪でみんなワンピースを着ていて顔にある特徴が見て取れるので、すぐに漢民族(数人は満州族系) だとわかる。韓国人の場合、服装・髪型は日本人と変わりないけど化粧が少し原色系だし、台湾人だと顔のつくりに南方系のエッセンスがブレンドされるのでわ かる。
いつの頃からか、私は外見と言葉でどこの国から来た人かがわかるようになった。
ベトナム人とインドネシア人とタイ人とフィリピン人の違いくらいなら一瞬で見分けがついてしまう。中央アジアから東欧にかけてが少し苦手だが(笑)、それ
は絶対的にそこ出身の人たちと会ったこと(観たこと)ないからに過ぎない。海外旅行の経験はむしろ少ないのだが、直感なんだ。
えっ? 中国人女性の特徴は何かって?
誰もが直感的にわかりそうな表現だと、最近流行の「女子十二樂房」。
もっとわかりやすくいうなら、「サントリーの烏龍茶」ってことよ(笑)。
ブルース・リーの言葉が端的にコツを教えてくれてるね(笑)。
Don't think you are. Feel you are! (考えるんじゃない。感じるんだ。)