筑紫哲也さん
どちらかというと、私は思想的には、生前の筑紫哲也さんとは相容れないというか、正反対の考え方を持っていたという印象を持っていた。
しかし、おとといの追悼番組を見ていて、或ることに気づかされた。
それはビートたけしが語った短い言葉の中で十二分に表現されていたのだ。
ーーー 「おれみたいなのが政治家なんかになっちまったら、悪いことばっかやっちまうと思うね、絶対」って言ったら、筑紫さんすごくがっかりしたっていうか、ショックを受けてたっていうか…なんか悪いこと言っちゃったなって思っちまったな。 ーーー
確か、こんな内容だったのだが、それを聞いて、初めて私は筑紫さんの本質を誤解していたことにはっきりと気が付かされた。
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番組内でガンを告白して以来の筑紫さんは、なんだか以前とは違う人に感じるほど柔らかな、しかしストレートな言質への変化を感じてはいた。それまでもストレートに話されていたのだろうが、その直球具合が違うと言うか、もっと本質的なことに絞って、無駄なことを言って時間を浪費しないように、頭に入り心に突き刺さってくるという感じを受け取ってはいた。
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鳥越俊太郎氏との往復書簡の中で、筑紫さんは「福田前総理の辞任に関して、罵詈雑言を浴びせる気には到底なれない」と書いていたそうだが、これも以前の筑紫さんなら対応が全く違っていただろう。
ただ批判すること、告発することばかりが報道ではない。
立場や役職は関係なく、見えないところで泣いてる人、苦しんでいる人の苦痛の源となっている誤解を解く為に、報道が一助となるのであれば、それが正しい報道のあり方だと、彼は思っていたのではないか。
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人がそれぞれどういう状態であれば幸せといえるのかということが同じであれば、右とか左とか、方法論とは関係のない次元で協力できるはずだと、改めて感じさせられました。
筑紫さんへのお別れの言葉をしたためます。
「ごめんなさい。ずっと私はあなたのことを誤解していました。方法論の差はあれ、シニカルなことをはにかみながら言うロマンティスト(でも、はにかんでいることは文章だけではわからないんですよね:笑)であるあなたは、実は或る意味私の鏡でもありました。別にジャーナリストでもない私がとやかく言うのも変ですが、何故か教師としても反面教師としても両面意識しながら日々過ごして来たことも事実です。でも最後に偉大な教師であったということが分かりました。分野は違いますが、その教訓を生かしていきたいと思います。ありがとうございました。そして、さようなら…。」