私、昨日一月六日をもちまして、無事二度目の成人を迎えました(笑)。
齢四十にして、頭ん中はまだまだおこちゃまな私めです。
思い起こせば、二十歳の誕生日は、その前日が昭和天皇が崩御なされた日だったので、平成最初の日という公私ともに大節目の日でした。
今回四十歳の誕生日も、奇しくもその前日に大きな変化(?)がある日でした。今回は全く私的な節目ではありますが。
実は、眼瞼下垂症の手術をしたのでした(笑)。
本当は11月初旬に受ける予定だったのですが、さすがにその後に続く、リコネクション関連セミナーに術後の瞼を腫らせた状態で参加するのは、さすがにマズいと思ったもので(笑)。
眼瞼下垂症というのは、まあ検索などで調べれば出てくると思いますが、実に日本人の7割近くはそれに該当するというくらいの「隠れた国民病」みたいなもんでありまして、特に悪くないと診断されるのに、やたら肩が凝ったり、身体がダルいなどの症状は実は、みんな瞼から来ていたという嘘のようでホントのことを発見した、信州大学の松尾教授の本を、昨年の2月頃偶然、近くの本屋に発売日2日前くらいにフライング平積みされとったものを何気にゲットして知りました。
そしてうちの相方は、さっさとその信州大学方式の手術をやっているクリニックに予約しました。
で、私も申し込もうと思った矢先、NHKがためしてガッテンで眼瞼下垂症と松尾教授を紹介しちまったもんだからあら大変、あっという間に予約しても初診を受けられるのが半年以上先にまで、予約殺到してしまったのでやんす(ギャフン:死語)。
んで、相方は結構さっさと手術を受けましたが、私は結局7ヶ月遅れで手術と相成ったのでした。
実は今から14年ほど前、ちょうど26歳の頃に急に体重が増えだし、体格(骨格)もゴツく、肩幅が10cm以上大きくなるという異常な成長をしたことがありました。
それまではどんなに食っても(今よりも遥かに飲み食いしていた)体重58kgから微塵も増えも減りもしなかったのに、その後は平均で年に1kgくらいのペースで体重は増えていきました。そして同時に、何もしないのに身体はダル重く、肩は凝るはで、医者に検診を受けても「肝機能低下以外は全く異常なし」としか言われませんでした。そしてその肝機能の低下も全く原因不明で、アルコールでも脂肪過多でもウイルス性でもないという状態でした。
リコネクション後、身体のダルさとかは相当軽減されましたが、まあ、どうせなら適材適所で西洋医学の良い部分も取り入れようってことで。
で、そのフライング平積みされとった松尾教授の本を見つけ読んでいて、それらの原因があるひとつの出来事に集約されていることに気がつかされ、本屋で落雷並みのショックを受けたのでした。
私が眼瞼下垂になった直接的原因は「コンタクトレンズ」だったのです。
若者であった故の変な色気もあって(爆)、「コンタクトレンズにしたらモテるかも」とか、不埒な笑みを浮かべて、慣れないコンタクトレンズを購入して奮闘したのがちょうどこの26歳でした。異物感の大きなハードレンズはもちろんのこと、異物感が比較的少ないというソフトレンズでさえ結局は受け付けませんでした。防御反応が異常に強く、目に入れようとするとどうしても強く目を瞑ってしまうのです。眼科医からは「そんなに目が大きいのに珍しいですよ」と若干の皮肉を言われながらも、やってるうちに慣れるだろうと、その後1ヶ月ほどはものすごく無理矢理ネジ込むようにレンズをブチ込んでいたのでしたが、これがよろしくなかったのです。
改めて、このコンタクトレンズ装着前と断念後の写真を見比べると、目と眉毛の間の長さが全然違う。
以前は鈴木亜久里みたいに欧米人並の狭さだったのに、断念後はまるでハナ肇というか(笑)、寝ぼけ眼のタヌキみたいなのびのびに。
当時はおろか去年まで、全く原因が分からなかったのですが、診断した医師によると案の定「眼瞼下垂症の重症」とのことでした。
結局、部分麻酔で45分くらいで終わる簡単な手術だったわけですが、手術中研修医さんに対して、「ほらほら、ここの瞼膜が伸びきってここの軟骨の位置がこんなにズレていますよね。これは重症なんですよね」などと切開した私の瞼を見せながら、話されているのを妙に納得しながら聞いていた私でした。手術中、看護婦さんへの指示に、思わず私が返事してしまったりして、みんなを笑わせたりもしたおちゃめな私(笑)。
なんとも刺激的な30代最後の日でした。
なので、40歳になってからは、違う「おめめ」でお目見えです。
とは言っても、腫れが引いたら、全く自然に仕上がるので、よほど私のファンの人(おるんかそんな物好き)でないかぎりは、ほとんど気付かんでしょうね。以前の写真を見せてやっと「ああ、確かに違うかも」というくらいでしょう。
まあ、美容整形目的の手術じゃないんで、気付かれるかどうかよりは、自分の身体が楽になるかどうかが肝心なので、どうでもいいのですが(笑)。
まあ、とにかく、今年も仕事がんばろうっと。
んがんっんっ。(←サザエさん?)
いやはや、今回も無事終了しました。
回を重ねるごとに進化すると言いますか、私たちリコネクションを教える側もより上手くなっているし、参加者のみなさんもある意味過熱気味だったブームが落ち着いた後に参加されていることもあって、とても落ち着いた、いい意味で「静かな」セミナーでした。
(参加されている方たちの年齢層が上がったことも関係あると思いますが…)
セミナーの進捗具合が心配されたレベル3も、今回は一日目の開始時間が早かったおかげでとても順調で、日曜日はすべて練習に当てられたことで、全体的な技術レベルも向上していたと思います。
また、エリックや海外から来るTAも随分と日本人のクセを理解するようになった上に、日本人TAみんながあうんの呼吸でチームワークを発揮したこともスムースに事が運んだ一因だと思います。
現在、プラクティス・ディベロプメント・ウィークの最中で、昨日は公認レベル3プラクティショナー試験があり、今日はエリックによるリコネクションがもたらされたときのチャネリング情報の一部を公開する「ライト&インフォメーション」が、そして明日は子供を対象にした「リコネクティブ・キッズ」が開催されます。
来年以降もこういうイベントが開かれる予定です。
実に楽しみです。
今回のセミナーに参加して気づいたのですが、エリックの理念に関する話はさらに整理され分かり易くなった印象があります。話の前後の繋がりがとても整然としてました。
そして、「オヤジギャグ」にもさらに磨きがかかりました(笑)。
ホントにどこで憶えてくるんだろう?(笑)
ちなみにエリックの「オヤジギャグ」の目玉は「アイムソーリー、ヒゲソリ、ジョリジョリ」です(笑)。
次回の新ネタが密かに楽しみです。
どちらかというと、私は思想的には、生前の筑紫哲也さんとは相容れないというか、正反対の考え方を持っていたという印象を持っていた。
しかし、おとといの追悼番組を見ていて、或ることに気づかされた。
それはビートたけしが語った短い言葉の中で十二分に表現されていたのだ。
ーーー 「おれみたいなのが政治家なんかになっちまったら、悪いことばっかやっちまうと思うね、絶対」って言ったら、筑紫さんすごくがっかりしたっていうか、ショックを受けてたっていうか…なんか悪いこと言っちゃったなって思っちまったな。 ーーー
確か、こんな内容だったのだが、それを聞いて、初めて私は筑紫さんの本質を誤解していたことにはっきりと気が付かされた。
***
番組内でガンを告白して以来の筑紫さんは、なんだか以前とは違う人に感じるほど柔らかな、しかしストレートな言質への変化を感じてはいた。それまでもストレートに話されていたのだろうが、その直球具合が違うと言うか、もっと本質的なことに絞って、無駄なことを言って時間を浪費しないように、頭に入り心に突き刺さってくるという感じを受け取ってはいた。
***
鳥越俊太郎氏との往復書簡の中で、筑紫さんは「福田前総理の辞任に関して、罵詈雑言を浴びせる気には到底なれない」と書いていたそうだが、これも以前の筑紫さんなら対応が全く違っていただろう。
ただ批判すること、告発することばかりが報道ではない。
立場や役職は関係なく、見えないところで泣いてる人、苦しんでいる人の苦痛の源となっている誤解を解く為に、報道が一助となるのであれば、それが正しい報道のあり方だと、彼は思っていたのではないか。
***
人がそれぞれどういう状態であれば幸せといえるのかということが同じであれば、右とか左とか、方法論とは関係のない次元で協力できるはずだと、改めて感じさせられました。
筑紫さんへのお別れの言葉をしたためます。
「ごめんなさい。ずっと私はあなたのことを誤解していました。方法論の差はあれ、シニカルなことをはにかみながら言うロマンティスト(でも、はにかんでいることは文章だけではわからないんですよね:笑)であるあなたは、実は或る意味私の鏡でもありました。別にジャーナリストでもない私がとやかく言うのも変ですが、何故か教師としても反面教師としても両面意識しながら日々過ごして来たことも事実です。でも最後に偉大な教師であったということが分かりました。分野は違いますが、その教訓を生かしていきたいと思います。ありがとうございました。そして、さようなら…。」
前回の記事から、世の中にいろんなことがあったが、あえてブログに書かなかった。
しかし、それらの問題のほとんどは、人間がみな極めて近視眼的な短絡思考しかできなくなっていることから来ていると思えてならない。
・四川大地震における一時的な「親日」感情と、それをすぐに打ち消し、反日に戻そうとする中共政府と人民との駆け引き。
・歴史を無視した、韓国の竹島実効支配と対馬韓国領論という妄想の台頭。
・山本モナさん等への、非常に感情的な処罰感情と嫌悪感を煽りたてる「正義感」「倫理観」を一律的に強制しようという集合無意識的な動き。
みんな見えない「恐怖感」にコントロールされちまってる。
ただ、ひたすらヒステリックであって、人間的な暖かさの欠片もない。
あのさあ、現在未来を「過去の記憶」の再現や脚色だけに生きるのはもうやめようよ。
***
最近、いろんな人たちと話していて痛切に感じるのは、「一を聞いて十を知る」というタイプの人は現在ではもはや絶滅寸前だということだ。
「一を聞いて一を知る」人ならまだいい。
だが実際には、かなり割合の人たちが「十を聞いて一すら理解できない」か「一を聞いたのに何故か三の立方根を小数点以下100桁まで憶えて、十を知ったよりも凄いから良いと思い込んでいる」か「一も知らないのに完全開き直っている」か「十を早く知りたい欲に勝てずに一から知ろうともせずに短絡的に(インターネットなどで?)結果だけ知ろうとする」かのような幼稚な状態に陥っているように感じる。
何も、私が「一を聞いて十まで分かる」タイプだと言っているのではない。
しかし、少なくとも五くらいまでは自分の頭で分かろうと努めているつもりだ。
いや、何が悔しいかというと、以前は思わずうーんと唸らされてしまうくらい凄い知恵や洞察を、惜しげも無くさらりと披露してくれる先達が数多居たものだが、今はただ一方通行的に自分の知恵や洞察を披露するばかりで、得るものが全くと言っていいほどないということだ。
*
日常的に、表面的で無意味にセンセーショナルな言葉・表現に惑わされて、何が肝心なのかが分からなくされてしまっているようで…。
まるで激辛のコーティングがされたスナック菓子の芋や小麦の炭水化物の微妙な甘みを感じられない様子に似ている。
舌が麻痺して本当の甘さを感じているんだかよくわからないが、しかし甘さも若干あるようにも感じられて…。
(こういうことを書くと、何故か「筆者は辛いものが嫌い」と解釈してしまう人がいつも居ることに呆れてしまうのだが、おそらく、こういう人たちは「一を聞いて三の立方根」タイプなんだろう。言うまでもなく比喩表現なのだが…)
みんな精神的に余裕が無くなったからか、比喩表現を比喩ではなく、反語表現を反語ではなく、皮肉の表現を皮肉ではなく、そのまま真に受ける人たちばかりが出現してしまっている。
そんな状態でマスコミやインターネットの垂れ流す圧倒的物量の雑多な情報を得ても、互いの情報の中に関連性があることを全く発見できず、すべてバラバラの情報を記憶しようと処理するから、脳の能力をあっという間にオーバーフローしまい、肝心なことをみんな取りこぼす。
結果、ほとんど同じことでも状況が少し違うだけで、対処の仕方がわからないから教えてくれと言う。
「自分で考えれば分かるでしょ?」と言っても、逡巡もせずに「ただ分からない」と即答されてしまう。
この「人間総白痴化」は何が原因か? どう対処すべきか?
特に日本人の場合、おそるべき勢いで国語力・語彙力が低下させられている。
*
全ての物事に於いて、何が肝心なのか、何が本質なのか、全く見えなくさせられている。
マスコミと口コミの共同作業の結果がこれだよ。
「物事を正しく見なければならない」って思い込みこそが、物事のそのままを見られなくしていることにいいかげん気付いたらどうかな?
自分の中の「正しさ」を絶対視せずに、その判断基準がどの程度のものなのか、冷静に検証してみたらどうなのかな?
えー、みなさまお気づきだと思いますが、ブログのサービスを乗り換えいたしました。
今までのものと違って、このVOXという舶来(米国発)のサービスに参加(無料)していただいている方でない限り、みなさまからコメントをいただけなくなってしまったわけですが、最近、私が酷使愛用しているフィンランド製携帯電話「Nokia E90 Communicator」で、いつでもどこでも簡単に記事をアップできる利便性を優先して、変更と相成ったわけでございます。
(ちなみにこのVOXは、みなさんも日頃お使いの携帯電話から、普通にメールに記事を書けば、あらかじめ設定されたメールアドレスに送るだけで、件名が題名に、本文が記事に、添付した画像ファイルが写真としてアップされます。修正や削除は当然Webブラウザからしかできないのですが、新規投稿は普通にメール(MMS)を送る要領で簡単にできてしまうので、お勧めですよ。)
***
というわけで、書き始めたばかりの「ねじねじ きぶん」の記事は全てこちらに移動し、過去のブログ「The Diary of a Part-time Refugee.(或る定時制難民の日記)」のうち、面白いと思えるものを抜粋して、時系列に沿って掲載しました。
それでは、ひきつづきよろしくお願いいたします。
P.S. ちなみに、このブログのタイトル部分の写真は、2006年の11月の夕暮れの米国フロリダのタンパ湾で波打ち際に漂う鳥たちを撮ったものです。
もはや、「平和の祭典」の面影は微塵も無いが。
あんなものに「聖火」を名乗って欲しくない。
ナチスドイツが同じ「国威発揚」を目的とした、かのベルリンオリンピックの方がよほどマシだったかもしれない(暴言)。
(しかし、オリンピックを「国威発揚」「経済発展」に利用することすら、本来のオリンピックの精神からは外れまくってるんだけどね…)
「世界の警察」「唯一の超大国」を自認してきたアメリカの動きも不安定要因に満ちて、混沌としてきている。人権にうるさいはずのアメリカがこれだけ沈黙しているのも不気味だ。おそらく国の内部では、他国の状況どころではない「何か」が進行中なのではないだろうか。
過去にも、世界の動向を(個人的に)予想した文章は、旧ブログではいろいろ書いていたけど、その一部を抜粋したいと思う。
***
※2007年7月16日の旧ブログ記事より
「 《人間の家畜化・獣化》 かの中国では致死性風邪薬や苛性ソーダ漬け段ボール&病死豚肉ミンチの肉まんなど氷山の一角。こんなに何もかもがデタラメなんて…。他人がどうなろうと自 分の利益になるんだったら知ったこっちゃないってことだよね。他にも多方面に問題が発生しまくるだろうから、北京オリンピック中止になるかもよ、冗談じゃ なく。
こういうことがどんどん表沙汰になっていくことで、彼らの主張する「日本の戦争犯罪行為」なるものも信憑性がないことがいずれはっきりするだろう。
13億人の大家族をなんとか食わせなきゃとなるから、デリカシーがなくなるし、妙に傲慢にもなる。所帯を分けて核家族化(分国・独立)した方が末端の人民には生きやすいと思うのだが。 」
※2007年7月27日の旧ブログ記事より
「 意図的に日本では全く報道されてないようだが、少なくともアメリカの崩壊・解体の動きは現実に加速している。
(メキシコ・カナダと合併して北米版EUを目指し、同時に世界最大の債務国アメリカの通貨ドルを廃止して、アメリカの借金棒引を目論んでいるという話がある。一方、ヴァージニア州を始めとする一部の州では合衆国からの離脱を州議会で議論している!)
同じく意図的に日本では全く報道されてないようだが、中国では地方で大災害や民衆蜂起が頻発し、今は辛うじて軍の力で止めているがもはや限界だという。そ のうちいろんな要因が重なって来年の北京オリンピックは少なくとも開催数日で中断になるだろう。これが中国崩壊のきっかけとなる可能性は高い。
(一例を挙げれば、外国人選手・観光客の金品を狙うために、地方の貧困層が窃盗目的で大挙して北京に押し寄せることなどが容易に想像できる。) 」
**
前者、昨年7月16日の記事から約半年後、例の毒ギョーザ事件が発覚するのだが、いつの間にか話題にもならなくなっている。
(中国側は国ぐるみで日本の反中国思想分子の仕業と結論づけて、強引に幕引きを図った)
後者、昨年7月27日の記事を書いてから後、米国のサブプライムローン問題が深刻になっていき、株安&円高ドル安&石油高騰になったのはご存知の通り。世界の基軸通貨が、本格的にドルからユーロに移行しはじめている。
全ての石油関連の決済をドルからユーロに変更すると言明している国が増えてきた。
また、厳しく情報統制されていたウイグルや内モンゴルやチベットの暴動や中国辺境の災害(人災)多発などの真相も、ようやく欧米のメディアによって明らかにされてきている。
特に今回チベット人が野蛮だという演出をして、中国のチベット支配の正当性を広くオリンピックの機会に世界に喧伝するために、かつての太平洋戦争時の対日 戦と同じ「便衣兵」という手口を使って、人民解放軍の工作部隊(漢民族)がチベット人僧侶に偽装してデモを起こした。そのうち本当のチベット人がそれに巻 き込まれて大規模な暴動に発展したことを口実に、人民解放軍が軍事制圧をした。
過去はそのような中共(中国共産党の略)の「工作」はほぼ完璧にうまく隠蔽できたのだが、こういう「隠し事ができない時代」になっている現在、さすがにその手口が暴露され、それゆえ世界中でFree Tibetと叫ばれている訳である。
さらに、かつての満州と同じように、少数民族の居住区に、その民族の人口を遥かに凌駕する漢民族を移住させて「同化」させるという静かな侵略行為をもっ て、漢民族による支配の正当化を他国に追認させ、実際には少数民族の文化を破壊し尽くしている現状のおぞましさに、さすがに世界中の人間が許容できなく なったわけである。
(まるで「Resistance is futile. You will be assimilated.(無駄な抵抗はやめろ。お前たちは同化される。)」と宣い、次々と別の種族を襲い個の意識を抹消して集合意識のみに従うアンドロ イドにしてしまう、スタートレックの新シリーズに出てくる機械生命体「ボーグ」みたい:苦笑)
衛生面・人権面・政治的背景・極貧困層の強盗と略奪の横行・中華思想的愛国精神から中国選手が負けそうな試合での中国人観客の妨害、負けた試合後の暴動等の治安悪化など、いろんな理由から、開催数日で北京オリンピックは中止になるだろう。
もし、無理にオリンピックを決行しても、それをきっかけに中華人民共和国は内部崩壊の一途を辿るだろう。同時に現代オリンピックの精神・意義が失われるので、今後予定される全オリンピックが無期延期になる可能性も否めないだろう。
***
チベット人には独立する権利がある。少なくとも真の自治を勝ち取る権利がある。
それでも中国人には、オリンピックを開催する権利は一応ある。
しかし、中国共産党には、オリンピックを開催する資格もセンスもまるでない。
いや、国家を運営するセンス、外交センスがもはやない。
そして、そんな中共に多少反発しながらも、こういう「中華思想」をくすぐられるような世論誘導には、施政者の思惑通り従順になってしまうくらいに愚民化教育を施された億単位の無辜の民…。
元々、支那には道徳心のある思慮深い人が多いはずだが。
否、そういう知識人・資産家・王族たちは、中共に根こそぎ粛正されちまったから…。(おまけにその犠牲者は全て旧日本軍のせいだとされてしまっている…)
かの国の基盤の何もかもが、どこの馬の骨とも知れない、根拠の無いデタラメだらけだから…。
自分が食うことに血眼になっていて、自己正当化と感情だけの「自分を冷静に見つめるセンスがない」デリカシーのかけらもない人たちに、人間の尊厳や誠意、フェアプレイの意味を理解させる術などあるのだろうか…。
これをわりとスピリチュアル系と自認している人たちはこぞって諸手を挙げて、もしくは号泣しながら絶賛してらっしゃるので、どんなもんかと少し見るなり、ものすごくゲンナリ…。
「なんやねん、これ?」
…あ〜あ、ぶっちゃけ書いちゃった(笑)。
***
「クリスタルチルドレン」という言葉がこういう形で歌になり、全国に放映されるというのは、確かに「時代が変わったんだねえ」という若干の感慨みたいなも のは感じますが、ただそれだけじゃないの?と思うし、「今の時代絶対ウケるね」と流行の最先端を気取ったプロデューサーが足を組んでふんぞり返っている図 を正直想像してしまいました(笑)。
だって、当たり障りの無い純真っぽい言葉(でも大人が書いている)、言い換えれば綺麗事をあどけない子供に歌わせて感動させようなどという、大人の魂胆が見え見えだもの。
本当に感動したという方もいるかもしれませんが、何かこういう「善意」のものは、「絶賛したほうが精神性の高い人たちに一目置いてもらえる」みたいな打算で「すごく感動した」と言っている自称「スピリチュアル系」の人も多いんじゃないかって思います。
なんせ、「こういう時代」ですからみんなのウケがいいものね(皮肉)。
まあ、小学校中学年以下の子供には情操教育的にそれなりの歌詞なのかもしれないが、歌詞はなんか自分たちで変えていこうということよりも、妄想の勧めみたいに聞こえる(暴言)。
しかも、芸術性皆無。イルカに乗ってるなんてベタ過ぎ(苦笑)。
モチーフが「感動的ですばらしい」と思い込んでしまうと、ものすごく低質でもそれに気づかなかったり許容してしまったりするのかなあ?
だから、芸術が廃れていくんだよなあ。
同じ「みんなのうた」でも、「おしりかじり虫」の方がまったくナンセンスだけど、ただ楽しくなるという意味においても、芸術性という意味においてもよほど優れていると思います。
ところで、日常たいしたことないものでも反射的で安易に「いい」って形容をしている人って、本当にいいものに出会ったときに、なんて表現するんだろう?
「すごくいい」? 「めちゃくちゃいい」? 「オニ、サイコー」?
それってただのボキャ貧だよねえ。言葉が死んでいってる。
**
私のことを個人的によく知っている人にはお分かりだと思いますが、私はいわゆる「スピリチュアル系」「精神世界系」「ニューエイジ系」といったものについて、知識はあるけど、はっきり言ってキ・ラ・イです。
特に、地に足のついていないところが嫌いです。
自分の過去世を現世の言い訳にするところや、「善意」であれば吟味もせずにいいことだと思い込んでしまう単細胞的思考パターンに無意識に相互洗脳してしま うところ、また、理性をかなぐり捨てて他人の言うなりになることを自分で選択しておきながらうまくいかなければ他人のせいにするところや、改善しようとす ればするほど「ネガティブなもの」という幻想にますます焦点が固着させられてしまうところなど、全く共感できません。
海外に比べると(まあ、海外でもどうしようもないのはたくさんあるけど)、日本のスピリチュアル系全体の幼児性には、非常に驚かされると同時に、ものすごく愕然とさせられます。
だからだと思いますが、直接話したり聴いたりするたびにエリック・パール博士の感覚って自分とものすごく似てるなあと思わされるんです。
(物事を茶化してみるのが大好きだし、多観点から掘り下げて検証してみるのも好きだし、ダイエットドクターペッパーも好きだし:笑)
**
現代日本社会は、かなり弱肉強食的になってしまっているけど、それについていけない人に対しては、「癒し」と称したエサというか、母性愛偏向的な現実逃避 や習慣性・依存性を促して浪費させるというか、結局 経済的搾取というか、やっぱり弱肉強食なんじゃねえかってなことを感じさせられます。
もちろん、同情すべき状況の人たちも多いと感じるのですが、なんとも とんちんかんで安易過ぎる「対症療法的解決策」しか目につかないような社会構造になってしまっていて、常々なんとかできないかとは思っているのですが…。
これからは現実逃避的で偽善的な「癒し」というよりは、現実に地に足のついた癒しというかむしろ活性化の方が必要だよってやっぱり個人的には思います。
みんな自分に喝を入れませうぜ!
P.S. ところで妻のみちるのブログ「ののの の きぶん」に私の分身キャラ(笑)のうた&おどりの動画がリンクされていますので、ぜひごらんください。体形やアホっぽさがとてもよく似てるとのことです(笑)。
♪Macho, macho man…♪
「ねじねじ きぶん」というブログを新たに始めることにしました。
実は、過去に某所で「The Diary of a Part-time Refugee.(或る定時制難民の日記)」なる、かなりの毒舌系ブログを書いていましたが、意外にもやめて(記事を全消去して)から好評だったことが分かってびっくりしたことがありました。(面白いと思った記事のみ抜粋して、書いた当時の日時で、時系列に沿ってここに掲載しています。)
さすがに今回はそこまで過激にするつもりはありませんが、ちょっと脳みそをくすぐられるような文章や写真などをアップしていきたいと思います。(でもやっぱり過激かも?)
***
「ねじねじ」というのは、我が家での感情表現のひとつでして、ひとさしゆびを伸ばして、娘や妻のせなかやおなかなどに、ねじまわしのように左右に回しながらあちこちつつきまわす(笑)という、おちょくったり、くすぐったりするのに非常に適したボディランゲージでございます。
もうひとつ我が家には、「ののの」という感情表現がありますが(笑)、こちらは純朴な愛情表現でして、同じくひとさしゆびを伸ばして、右回りの「の」の字をあちこち書きまくるといったものです。
「ねじねじ」には少し毒というかシニカルな批評精神が含まれており、「ののの」はまったくの人畜無害だと言えましょう。
で、「ねじねじ」は私みつぐっちが、「ののの」は妻のみちるがそれぞれ担当してブログを書かせていただきます(笑)。
はっきり言って、リコネクションについての記述はあまりないと思いますが、おもしろがっていただければ本望です。
それでは、みなさまよろしくお願いいたします。
ねじねじ。
え〜、突然ですが、「The Diary Of A Part-time Refugee. (或る定時制難民の日記)」は、閉じさせていただくことにいたしました。
ここに書いてた諸々の事共を、一体どれだけの方々に読んでいただいていたのか、どのような悪影響(笑)を与えていたのか、全く見当もつかないのですが、軽い日記のつもりで始めたものが、いつの間にか読むのに難儀する嫌味ったらしい評論文だらけにすり替わってしまいました(笑)。
愚痴ったり、普段出せないことをここではぶちまけたり、なんやらかんやら遠吠えみたいにやりたい放題でしたが、書き散らかしてきた文章を無分別に他人に見せ続けていることが、だんだん心苦しくなってきたので、リセットさせていただきたいと思った次第です。
一部には、悪くない文章もあったと思うので、それはここに残していますが、かなりの文章はもはやこれからの時代にはそぐわないと思ったのです。
***
とある昔の友人の一言が忘れられません。
「今時、5年前の自分なんて、もはや別人だね」
この日記かブログか批評集か分からんコーナーは、おおよそ5年間続いたのですが、最近読み返すたびに、5年前の自分どころか、3年前の自分ですら、まるで別人に思えていました。
特に、4〜3年前のおよそ1年余りの自分が一番、別人に思えるくらい違和感がありましたね(笑)。
そんな「自分自身が嫌いだ」とうそぶいていた「別人」の言葉は、「自分が好きになっている」今の自分には、非常に痛く突き刺さります。
現実逃避という意味ではなく、普通に過ごしていても、別人なんだと思えるくらい、自分も世の中も変化し続けているのですね。
まあ、過去のどんな自分も自分なんでそれはそのままでいいんですけど(笑)、まあ、ケジメをつけて、いっぺん卒業させてやんなきゃと思ってね。
***
本当にみなさま、わがままな「定時制難民」に今までお付き合いいただきありがとうございました。
無事難民申請が通ったようで、安住の地に定住できるようになったようでございます(笑)。
《写真は5年前に住んでいた古い借家の部屋から撮ったものです。その頃の自分へのオマージュとして...》
連日、感染フィブリノゲン製剤によるC型肝炎患者たちの、国への賠償請求の話題が報じられている。
確かに薬害であることは間違いないし、感染者リストを厚生労働省が放置したのは言語道断である。
早急にまだ見つかっていない該当者を見つけ出し告知する必要はあるし、補償の必要も当然ある。
現在、原告団である彼らは、「一律救済」という解決法を望んでいるというが、
しかし、私は正直違和感を感じてしまう。
ここからは、批難を承知で書きたいと思う。
***
確かに、予期しない病状の急激な進行も考えられるため、一刻も早い解決をしなければいけないのは言うまでもない。
原告団の言う「一律救済」は、気持ちは分かるが、実効性という意味で、どこまでの範囲の人を救済すべきかという問題が生じる。感染製剤を投与されて感染した人から、さらに知らずに感染させられた人まで含めれば、あまりにも膨大で、その人たちも含めて「一律」に同額の見舞金や治療費を出すというのは、国家運営上困難である、下手をすれば国家の財政が破綻の方向に向かうことすら考えられる。
(他の薬害や公害の場合も、同様に無限に補償しなければいけないという悪しき前例になってしまう)
舛添厚生労働大臣や福田総理大臣は「論点を整理していい形で問題解決したい」と言うが、これは時間稼ぎ等という次元の低い批評に当たるものではなく、ものすごく高度な政治決断である。
まずは、少なくとも原告や、リストに載っていて今後原告に加わるであろう人たちの救済をまずやるべきと思う。が、その方法が肝心である。
**
ここで、敢えて現代社会における賠償方法の欠点・盲点を指摘したい。
それは、現代においては、賠償方法が全てお金に換算されてしまうという欠点である。
確かに、感染製剤を投与された人たちの感染の「機会」は均等なのだが、それぞれの人の身体の耐性や体力や遺伝的形質によって、出てくる症状や進行状況は全く異なってくる。
特に、治療費の補償と、感染したことによる生活費等の補助及び慰謝料は明確に分けるべきだ。
肝炎に感染したことによる就業困難については、収入見込額に応じた補償をお金ですることは可能で、慰謝料も同様だが、治療費については、一律金額 を各患者に補償する(現金等を手渡す)のではなく、それぞれの患者に「肝炎とそれに付随する一切の症状の治療・手術(場合によっては通常保険適用外のあら ゆる治療法・代替医療を含む)を一生涯、国家が全額負担する」という特別証を付与するという解決法があるのではないだろうか?
明確に分離しないと、いつの間にか「一人当たり幾ら」という金額の方に意識がフォーカスされてしまって、完全治癒という本来の目的を見失う。
こういうことに妙な「平等精神」を持ち込むべきでない。
補償金額が平等であっても意味がない!
それぞれの患者の症状に応じた、完治へ向かう為に必要な治療を受けられる権利こそ平等にすべきなのだ!
*
「よりたくさんの患者に、より多くの額の補償を勝ち取る」ことが目的ではなく、
「病気が完全に治癒され、それによって奪われていたいろんな自由を取り戻す」ことこそが目的なのだから。